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58 太い指で1デッキ分54枚のカードを取りあげた。
リフルシャッフルをしようとして、失敗し、ぶざまにテーブルや床の上にカードをぶちまけた。黒田は出っ張った腹を窮屈そうにかがめて、床に散らばったカードを拾い上げた。
正朝は見逃さなかった。黒田がカードを拾うふりをして、1枚の絵札を、左手のひらの内側に隠したのを。
―ハートのKだ。
だが正朝は黙っていた。
拾い集めたカードを黒田は、スタスタとヒンズーシャッフルをした。
そして羅紗のテーブルの上に置いた。
裏返しに山に積まれたカードを荒津がサーッと扇形に広げた。
「さぁ、堀本。こんなかから1枚を選べ」
堀本は扇形に並んだカードの右端から1枚を引いた。
「次は、武内君や。1枚を引きんしゃい」
正朝はカードの左端から1枚を引いた。
「まずは堀本んカードから開いてもらおう」
堀本は引いたカードをスーツの背中に回して持っていた。
隣には太った黒田がピタリと寄り添っていた。
―さっき拾ったカードを黒田が堀本に渡したんだ。
正朝は見破ったが、それでもなお黙っていた。
「ほほぅ。ハートのキングたい。13たい。俺の勝ちばい」
カードをテーブルの上に表を開いて置いた堀本が勝ち誇ったように叫んだ。
「そん小僧の命ばもらった。そいにこんカジノ店も俺のもんばい」
高らかに笑い続ける堀本に、荒津は眉をしかめ、ネズミのように口をすぼめた。
正朝が言った。
「待ってください。キングに勝つカードが残っていますよ。スペードのエースです」
スペードのエース。それは黙示録の表紙であり、カードの根源的パワーの源であると考えられてきたカードだ。スペードのエースは1という数字でありながら、唯一キングより上位のカードとされている。
18世紀初頭には、イギリスでは国家の造幣局がスペードのエースだけを印刷していた。 それを業者が税金代わりに買い取り、残りのカードを印刷して1デッキとした。
スペードのエースは国王のカードだったのである。
荒津はすぼめていた口をフッフと笑いに変えた。
「そうか、54分の1の幸運が武内君の手のなかにあったとしたら、わしもこの店を失わずに済むばい。さぁ、武内正朝君、カードを開いてもらおうか」
純平が正朝の手のひらを見つめながらゴクリとつばを飲み込んだ。
隆史も見つめていた。
深尾店長も、正朝のカードが開かれるのを待った。
ゆっくりと正朝は手にしたカードを返した。そしてテーブルの上に放った。
テーブルの上に舞い降りたのは、まさしくスペードのエースだった。
おおぉーっ、という歓声が店内にあがった。
ふだんは表情を崩さない黒服までもが歓喜の声をあげた。
「マサ兄ぃの肩は、一流ばい。勝ったっ、勝ったぁーっ」
純平は走り出さんばかりにはしゃいでいた。
シャトーのスタッフが喜び合うなかで、ミソンだけがわけが分からずに震えていた。
堀本が悔しそうに言った。
「いっ、いかしゃまばい。そいつはディーラーやなかかっ。いかしゃまばして、俺んカードに勝つスペードのエースを引くくらい、わけもなかろう。こんゲームは無効ばい」
荒津が口をすぼめてネズミ爺さんの表情に戻って言った。
「そんなら、尋ねるが……、堀本、お前の隣に立つ男のスーツの右ポケットに入っとるカードは、どげん説明ばするとか」
ハッとしたように、隆史が黒田に近寄って、黒田の右手より先にスーツのポケットを押さえた。隆史が取り出したのは、ダイヤの2のカードだった。隆史が怒鳴った。
「こんオヤジ、いかしゃまばしたんは、貴様のほうやなかかっ」
それは黒田が背中越しに堀本の引いたカードと取り換えたカードだった。
「もうろくしたとあなどってもらっては困るばい。俺ん目は節穴やなか。さぁ、そんミソンさんちゅうおなごば、武内君に渡してもらおうか」
クッと舌打ちをして、黒田がミソンの背中を押した。
転びそうになったミソンを、正朝は抱き止めた。
「ど、どして、わたしのこと、助けるですか」
ミソンはまだ震えながら、正朝に尋ねた。うっすらと事情が飲み込めた様子だった。