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57「あんた、誰ね?」
堀本がネズミ爺さんに尋ねた。
「申し遅れたな。わしは博多ば治めとう荒津組の組長、荒津晃造たい」
ネズミ爺さんは笑顔で言った。ただ眼光だけは鷹のように鋭くなっていた。
「この勝負、受けてやれ堀本正。俺が胴元をとっちゃる……。おい、深尾を呼べ」
荒津晃造は、フロアに立ちすくんでいた隆史に命じた。
騒ぎを聞きつけて、控え室から深尾店長が飛び出して来た。
深尾がネズミ爺さんをまじまじと見た。
「あ、あなたがシャトーの本当のオーナー、荒津晃造組長だったのか」
深尾は目を丸くしてネズミ爺さんを見つめていた。
「すまなかったのぅ、深尾。わしは正体ば隠して、こんシャトーを視察にちょいちょい訪れておったというわけばい。門上大介が辞めたんは惜しかった。そんでも肩のよか、この武内正朝や松尾隆史が残ってくれたのは財産と思っちょる。そん若者たちばまとめ上げて、よかカジノ経営ば務めてくれた深尾にも感謝しとうばい」
ネズミ爺さん、いや荒津晃造は、
「荒津組は、わしの息子の泰造にもう譲ったとよ。わしはヤクザのご隠居ばい」
そう言って、好好爺のごとく目を細めて笑っていた。
「息子の泰造は、ここにおる堀本と組んで、中国や韓国、ときに北朝鮮との密貿易にも手を伸ばしておったようやが、そいでこん堀本ばVIPちゅうことで、こんシャトーでも好き勝手に遊ばせとったようやが、わしは覚醒剤の密輸やら、身元の知れん者の密入国やらに手を貸すのは、好かん。息子は“ヤクザも昔気質の任侠やなんて言っておったら、生き残れんばい”と、わしに説教ばくらわせるけれどな。わしの目の黒かうちは、そげん人の道ん外れたことば許すわけにはいかん。おい、堀本。貴様こそ100円の命の値打ちんなか男ばい。男やったら、こん武内正朝の勝負ば受けて、気概ば見せてみろや」
ネズミ爺さんの眼光はますます鋭く堀本をにらみつけた。
「こんシャトーは半年で5億円くらいは稼いどる店ばい。武内正朝の命に、こんシャトーの経営権ば上乗せしちゃる。これが武内君の賭け札でどうや。その代わり、堀本。貴様は、武内君の言う、ミソンとかいうおなごの身元ば自由にしてやるっちゅうだけの賭け札でよか。貴様ん、はした命ばもらっても、わしはうれしかなかばってんな」
堀本をにらみつけていたネズミ爺さんは、ニコリと笑うと正朝を見た。
「武内君、お前さんのよか肩で、おもしろか勝負ば、さんざん楽しませてもらったばい。わしから礼を言う。そんミソンさんというおなごは武内君の好いとうおなごか?」
「いえ、好きな女は、他にいます。俺は勝負に勝ったら、このシャトーを辞めさせていただくつもりです。決めた女と、新しい生活を始めたいと願っています」
「そうか。それは残念たい。武内君ほどの肩ば失うんは、シャトーにとって惜しかことやからな。でも、新しい生活というのは、堅気の生活のことか」
「そのつもりです」
「そいなら良か。闇の稼業は続けるもんじゃなか。わしはたくさんのヤクザもんの末路を見て来た。わしがこん歳まで生きてこられたんは奇跡のようなもんばい。たいていのヤクザもん、裏稼業に生きるもんは、悲惨な末路をたどるもんや。武内君には、そうなってほしくなかばい。良か男やからな、君は」
クルリと振り返ると、堀本を鋭い目つきで恫喝した。
「はよ、そんミソンさんば、連れてこんねっ」
堀本は、取り巻きの男の1人に耳打ちをした。
ミソンが連れてこられた。震えていた。カジノに入るのは初めてなのだろう。
そして鋭い目つきでにらみ合う荒津晃造と堀本正の姿におびえた。
ミソンが連れてこられたとき、純平が思わず叫んだ。
「詩音、詩音じゃなかとね。マサ兄ぃの言っていたミソンとはお前んことだったとかね」
純平に続けて、隆史が声をあげた。
「やめとけ、正朝。そんおなごは、あすんもんばい。どげんして、そん、あすんもんのおなごに、お前の命ば賭けんといかんとね」
正朝は静かに隆史たちに言った。
「あすんもん、あすんもんか。博多弁で“おもちゃ”という言葉も、俺には“明日の者”って聞こえるのさ」
勝負を止めに正朝のもとに近づこうとする隆史と純平を、黒服たちが制した。
その騒ぎに構わず、荒津晃造が尋ねた。
「何で賭けるとね。やはりバカラか?」
堀本が異論を唱えた。
「待て、そいつばはディーラーやけん。そん腕前で、どげんないかしゃまば仕掛けられるか分からん。えらい単純なルールでやろう。1枚んカードば1デッキがら抜き、数字ん大きか方ん勝ちでどがんね?」
「では、わしが胴元を務めよう。シャッフルをさせてもらうばい」
ネズミ爺さん、いや荒津晃造が1デッキのカードをシャッフルした。
見事なリフルシャッフルだった。1秒もかからないでカードを混ぜ合わせた。
続けてスタスタとヒンズーシャッフルをして、再びジャッとリフルシャッフルをした。
カードが羅紗のテーブルの上に置かれた。またも堀本が異論を唱えた。
「荒津しゃん。あんたはこんディーラーの小僧の味方ばい。あんたがシャッフルばしたカードで、こんまま勝負ばするのは俺に不利ばい。そこでやけど」
堀本は、卑屈な苦笑いを浮かべて荒津晃造に提案した。
「こん黒田にもシャッフルばさせてもらいたか。どげんね?」
荒津は、チラリと正朝を見た。正朝は小さくうなずいた。
「よかろう。武内君も承知したようや。そん男にもシャッフルばさせよう」
黒田が黒縁メガネを指で引き上げながら、テーブルに近づいた。