(51)

51リフルシャッフルをする。
薫の笑顔が思い出される。壁の時計は午後2時を過ぎていた。
雑念を振り払って、オーバーハンドシャッフルをする。集中しようと心がける。
北朝鮮のニュース報道の女の子が脳裏に浮かぶ。その顔がミソンの悲しげな顔にすり替わる。
「ああっ。くそっ」
ファローシャッフルに切り替える。
昨日の夜に出会ったホームレスの老人の顔が思い浮かぶ。
「どうしちまったんだ、俺はっ」
カードを揃えテーブルの端に置くと、正朝は床に仰向けに寝転がった。
―こんな雑念ばかりじゃ、上質なディーリングはできない。
無気力、無関心、無感動……。
カジノで客を相手に勝負をする。そこに自分の肩の良さが光る。その瞬間だけが生きている実感を持たせてくれる。それが正朝という人間だったはずだ。
薫と出会ってから、自分は変わったのか。
正朝は大介と夕子の姿を思い浮かべた。
―あの2人、幸せにやっているかな。
そんなことすら、以前の正朝だったら考えなかったはずだ。
正朝のなかで何かがうずき、何かが動き始めていた。
午後7時に、かろのうろんでゴボ天うどんを注文した。
丼鉢を廻し、正面にセットした。そして天麩羅を食らい、うどんをすすった。
汁まで飲み干す。
丼の底に現れた「かろの」と「うろん」の「ろ」の文字の位置がずれていた。
―ふぅっ、ゲンの担ぎ直しだ。
上川端町の甘味屋、鈴懸に向かった。閉店間際に駆け込んで鈴乃最中を買った。
鈴をかたどった最中には、餅と餡とが詰まっている。
正朝は、がむしゃらに鈴乃最中にぱくついた。
甘味が頭脳を明晰に冴えさせていく。
―よし、いける。
博多川沿いの道でマルボロを吸って、少し早めにシャトーに向かった。
控え室で、練習用テーブルに向かってカードをシャッフルして本番を待った。
午後9時30分に隆史が出勤してきた。
「どげんしたと、正朝。目が血走っとうばい」
隆史の声にも返事をせずに、正朝は練習に打ち込んだ。
その夜。やれる限りのことはやり尽くしたつもりだったが、正朝はまた負けた。
午前5時。店の負債は300万円を超えていた。
―どうしちまったんだ、俺は……。
肩の感覚がぶれているわけではない。カードさばきは順調だった。ただ負けたのだ。
バーテン服から私服のTシャツに着替える純平がオロオロと正朝の顔色をうかがった。
「マッ、マサ兄ぃ……。そげな顔をせんでくだしゃい」
どんな顔をしているのか。正朝は自分では分からなかった。鏡は覗かなかった。
黙ってシャトーをあとにすると、いつもの公園を通って薬院への帰路についた。
午前5時40分。自宅マンションの前に早朝だというのに薫が座っていた。
短い黒髪の顔を両腕の中にうずめている。ボーダーシャツに短パン姿だった。
「どうしたんだ」
正朝が声をかけた。薫は顔をあげた。涙でゆがんだ顔だった。
「うち、人殺したい」
薫は立ち上がると正朝の胸の中へ飛び込んできた。泣き続けていた。

7月14日、午前6時過ぎ。薬院のマンションの301号室。
正朝の部屋に2人はいた。薫がべそをかきながら小声で言った。
「怒らんと、聞いてくれる?」