(50)

50おびえなければならない人生を歩んできたのだろうか。謝り続けても許されない人生を歩んできたのだろうか。
「俺になんか、謝ることはないよ」
ぶっきらぼうに正朝は老人に言った。老人は、ますますオドオドとして、
「しゅまんこってす。しゅいません」
と頭を何度も下げ続けた。
「じいさん、今夜はメシを食ったのか」
そんな言葉を口にして、正朝は自分でも驚いた。他人を思いやるなんて、と。
「しゅ、しゅいましぇん」
老人は足を引きずりながら、立ち去ろうとした。そしてまたよろけた。
その身体を後ろから支えたのは正朝だった。
「手が汚れますばってん。わしに触るのは汚なかですよ」
「いいんだ。それよりメシ、食ったのか」
正朝は財布から5千円札を取り出すと、老人に渡そうとした。
老人は目を丸くして、かぶりを振った。
「もらえましぇん。そいにわしのような汚なかもんは、どこの店にも入れてもらえんとですから」
「そうか……。じいさん、待っていろよ」
天神中央公園の付近にはコンビニもファーストフードの店もなかった。
正朝は走り回って、西中洲のコンビニに駆け込むと、弁当やおにぎりやカップ麺などを大量に買い込んだ。そしてまた走って公園に戻った。息が切れていた。
老人の姿は、もうなかった。
屋台『姫ちゃん』の、のれんを跳ね上げて、店主や客に尋ねた。
「こっ、ここにいたホームレスのじいさんは?」
客は客同士で目を合わせて、
「ホームレスなら、どこの公園に行ってもおるったい。わっはっはは」
酒も入っているからだろう。客たちはさもおかしそうに笑った。
店主は無言で愛想笑いを正朝に向けただけだった。
正朝は身体が火照るのを感じた。無駄な努力をした自分に腹が立っていた。
公園のベンチに座った。雨はあがっていたが、ベンチは少し濡れていた。
コンビニの袋を地面に置いた。
夜の公園にはカップルが、ちらほらと見える。
無意識のうちに、さっきのホームレスの老人を探した。
「何をやっているんだ、俺はっ」
大きな声に、カップルが驚いて遠のいていった。
―俺と薫も、この時刻にここにいれば、あんなカップルの一群にまぎれて見えるんだろう。
そう考えると、自分と世界とが隔絶されているような気がした。
―いま薫に会いたい。
正朝は、マルボロを1本吸い終えると、ベンチから立ち上がった。
公園を離れ、中洲の街、シャトーへと向かった。
コンビニの荷物は公園に置きっぱなしにした。
その晩、正朝は負けた。店への損失額は200万円だった。
明けて7月13日、午前5時。もう明るい街を歩いて自宅マンションに向かった。
帰路に天神中央公園の付近を歩いたとき、ふとホームレスの老人を探した。
いるはずもなかった。
薬院まで歩き通して、マンションのベッドに倒れ込んだ。
目が醒めた午後1時。玄関のチャイムは鳴らなかった。
―今日は、薫は来ないのか。
ワンルームマンションの部屋がとても広く感じた。
薫が来ない1日は、とても長く感じた。
独りで福岡へやって来たばかりの頃は、そんな思いにとらわれることはなかったのに。
羅紗を張ったテーブルを部屋の真ん中にセットした。
カードのシャッフルの練習を始めた。