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48 途中の果物屋で、正朝はマスクメロンを買った。
「うふふ、いつかの晩みたい」
薫は正朝の腕にしがみついて笑った。
午後10時を過ぎた。薫は台所に立ってメロンを切り分けていた。
天気予報で湿度を確かめようと、正朝はテレビをつけた。それは身に染みついた慣習のようなものだった。
「もうすぐ、メロンば運ぶけんね。待っとって」
薫の声を背中に聞きながら、正朝はぼんやりとニュース番組を観た。
「えー、次の話題です。北朝鮮の日常をルポするカメラが北朝鮮の市街に入りました。当局の監視をかいくぐっての決死の潜入ルポです。これは脱北した元北朝鮮のジャーナリストが……」
ニュースキャスターは清楚なスーツにポケットチーフを胸に飾り、淡々と語っていた。
画面には北朝鮮の郊外らしき街が映し出された。
正朝は、とっさにミソンのことを思い出して、テレビを消そうかと思った。
画面には、ボロボロの衣服をまとい、食べ物にも事欠くのか痩せた女の子が映っていた。
正朝は見入ってしまった。
女の子は道ばたの雑草を摘んでいた。
「自分の食べ物にするのか(朝鮮語)」
「ううん、うさぎのエサにするの(朝鮮語)」
ニュースキャスターは続けた。
「えー、北朝鮮では学校でうさぎを飼うことを奨励しています。うさぎはどこででも飼えるうえ、穀類の飼料を使わなくても雑草などで飼育して栄養価のある肉が得られ、皮も生産できる家畜として奨励されているようです。しかし、うさぎが育つ前に、ビデオに映っていた、この女の子が先に栄養不良で病気になってしまいそうですよね。この現状、いかが思われますか」
ニュースキャスターは、隣に座るゲスト解説者に話題をふった。
正朝は、ニュースの内容よりも、画面に映し出された女の子の顔が目に焼き付いた。
ボロボロの衣服、汚れた顔、裸足、表情もない。痩せていた。
ミソンの顔が浮かんだ。初めて会った日にミソンは焼き餅を正朝に返しながら言った。
「飢えている人、おおぜい……。私、食べられない、これ」
その声が正朝の記憶に甦った。
「さて、お天気です。梅雨の季節は過ぎましたが、明日は前線の影響で九州から中国、四国地方にかけてあいにくの雨のお天気となりそうです。気温は福岡で……」
清楚なスーツを着た美人キャスターが天気予報を告げていた。
正朝は、明日の天気と湿度を観逃した。
ミソンのことに気を取られていたからだった。
「はい、メロンば切ってきたとよ。一緒に食べようもん」
エプロン姿の薫が、正朝の目の前に皿に載せたメロンを運んできた。
正朝は、メロンに手を伸ばさなかった。
「どげんしたと」
不思議そうに尋ねる薫にも、何も返事をしなかった。
薫は笑いながら、メロンにフルーツスプーンを挿しては口に運んだ。
「はい、マサ君、あーん」
薫が自分ですくったメロンの果肉を正朝の口元に運んだ。
それでも、正朝は横を向いて薫の差し出したメロンを食べはしなかった。
「うち、マサ君の機嫌ば悪かする何か、気がつかんでしたとうや?。そいやったらごめんね」
謝るべきは薫ではない。自分が悪いんだと正朝は思った。
夜が更けた。正朝のベッドに添い寝するように薫は横たわった。
いつまで経っても、自分に手を伸ばさない正朝に、じれたように薫が身体を預けてきた。
正朝の胸の中に、薫が顔をうずめる。正朝の手を薫が握る。
正朝は豹変したように、薫を抱きすくめた。
「痛っ、そげんに乱暴にせんといて」
怒りか、寂寞感か、虚無感か、無力な自分への憤りか。
様々な感情に突き動かされて、正朝は薫を抱いた。
それとも……。
―愛か。愛なら、愛であってほしい。このまま薫といつまでも……。
ミソンの身の上への考えを振り払うごとく、正朝は薫を強く抱いた。
愛ではなく、自分への怒りだと思った。それを薫にぶつけている。