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46「はいっ」
純平は控え室のソファーから立ち上がった。
「どうだ、今夜は隆史君の代わりにブラックジャックのテーブルに就いてみるか。そろそろ純平君にもディーラーとして活躍してもらわないといけない時期かもしれんしね」
「本当ですか、店長っ。うれしか。俺、精一杯カードをさばきますけん」
正朝は黙って、純平の肩を叩いた。激励のつもりだった。
「マサ兄ぃ、俺、ついに夜番のディーラーになれたとですよ。頑張りますけん」
純平は顔色を紅潮させて、正朝に答えた。
夜の客は少なかった。ニコジさんも、ゴリさんもいない。
多人数を相手にしないだけに純平はブラックジャックのテーブルを無事にさばけた。
正朝は少ない客を相手に、淡々とバカラのテーブルをさばいていった。
午前5時を迎えた。
「タカ兄ぃも、大介兄ぃもいないと、淋しかですね」
無事にブラックジャックのテーブルでのディーリングを終えた純平が正朝に言った。
「あぁ、そうだな」
正朝はただそう返事をした。
夏の夜明けは早い。シャトーの外に出ると、もう街は明るかった。
マルボロの箱からタバコを一本、取り出した。
―この路上で、刺されたんだったな。
雪の日を思い出しながら、煙を吐き出す。
電源を切っていた携帯電話をオンにする。
メールの着信があった。
ソープランド、ルネの由佳里からだった。
『話があります。お客のフリをして来て』
それだけだった。来客勧誘営業のメールではないらしい。
正朝は中洲1丁目に向かった。
ルネのマネージャーらしき男に入浴料の1万円を支払う。由佳里を指名する。
「済まんね、入浴料はあとであたしから正朝さんに返すばってん。それより話を聞いてほしか。詩音、いやミソンちゃんのことばい」
「やはり、そうか。どうしたんだ?」
「ミソンちゃんが北朝鮮に送還される日が迫っとうと。7月15日ばい」
「どうやって知ったんだ」
「賀代子しゃんと、例の男の人がルネの控え室で話をしとるのを、あたしも聞いてしまったと。正朝しゃんがやったように、壁にコップば押し当ててね」
「堀本正が来たのか」
「堀本っていうとか、あん男の人。じつは正朝しゃんがあたしにミソンちゃんのことを打ち明けてくれた日からずーっと気になっていたとよ。そいで昨日の晩にその堀本って人がルネに来たと。賀代子しゃんと控え室に入っていくところを目撃したたい。いけんこととは分かりながら、2人の話ば聞くことにしたと。そいがね……」
由佳里の話はこうだった。
中国に軟禁されているミソンの家族は、両親と姉らしい。その家族には韓国へ移住させると嘘をついて中国からじつは北朝鮮に送り返す。その予定日は7月16日だ。
ミソンへは家族が韓国で待っていると嘘をついて、日本から中国経由で北朝鮮へ送り返す。その予定日は7月15日。ミソンは家族とは離されて拘束されるだろうとのことだ。
つまり堀本正と関係を持つ中国財界人は、ミソンの家族から必要な北朝鮮に関する情報を聞きだし尽くしたということらしい。由佳里は続けて言った。
「そいからね、ミソンちゃんが密入国をしたのは博多港らしか。その堀本っていう人の中国からのコンテナ船に忍び乗って、日本にやって来たらしかよ。すべての手配は堀本っていう人の陰謀らしかね。北朝鮮へ送り返されるときも、きっとそのコンテナ船ば使うんだわ。ねぇ、正朝しゃん。どげんしよう。どけんかならん?」
由佳里は、泣きそうな顔になって正朝に迫った。
「こんことを知っとうのは、正朝しゃんとあたしだけたい。あんなに家族一緒に暮らせる日を夢見て、ソープ嬢の生活ば続けとった純朴な娘たい。あたし、何とかミソンちゃんを助けてあげたいとよ。でもどげんもならんもん。ねぇ正朝しゃん、どげんかならん?」
正朝はジッと床を見つめていた。
「助けるって、いったいどうするっていうんだ」
怒りのこもった声だった。
由佳里は驚いた顔を見せたが、もっと驚いたのは正朝自身だった。
―助ける?。ミソンを助けるだと。この俺が。
そんな気持ちがいつの間に自分に湧いていたのか。
「俺は帰るよ」
自分の気持ちに整理がつかない。正朝は由佳里に別れを告げた。
「正朝しゃん、ミソンちゃんのこと、どげんかして」
別れの挨拶の代わりに、由佳里が言った。