(43)

43 男衆は真剣な顔で浜を目指して駆けて行く。
たしかにこみ上げてくる高揚感は感じる。
だが博多の者ではない正朝は、よそ者にすぎなかった。観光客と同じだ。
高揚感は感じても、しょせん男衆と同調する気持ちにはなれない。
―なぜ、この男たちは、こんなにも嬉々として駆けるのだろう。こんなにも真剣になれるのだろう?。
正朝を、いつもの離人感が襲った。お汐井とりに熱中する男たちを眺めれば、眺めるほど、自分の心に“お前はこの輪のなかには入れない”と現実を突きつけられている気がして、虚しさを感じるのだった。
―そこが薫とは違う。
何だか、薫の心とも離れていってしまいそうで、正朝は哀しさを感じた。
薫の肩に腕を回し、抱き寄せた。
「何ん?」
薫は、突然に自分を抱き寄せた正朝を不思議そうに見つめた。
お汐井とりの男たちは、浜砂を取り、筥崎宮への参拝を済ませると、今度は櫛田神社に向かって、来た道を駆け戻っていった。
浜に夕陽が沈んでいく。見物客たちが引き上げた後も2人は筥崎宮に残っていた。
「マサ君と眺める夕陽は、とっても好きたい」
薫は、正朝の肩に頭を乗せて寄り添った。
夏の夕陽が沈みきるまで、2人は浜を眺めていた。
2人は地下鉄2号線に乗って、中洲川端駅まで戻った。
この駅からは、中洲の街は目の前だ。午後8時近くになっていた。
「今夜も勝ってね」
薫は正朝の手をギュと握ると、笑顔を見せて天神の街に向かって歩き去って行った。
午後9時30分に、正朝はシャトーの控え室にいた。
ディーリングを始める前のコーヒーを飲んでいた。
着替えを始めようとしたとき、大介が出勤してきた。
「暑くなったねぇ。街は博多祇園山笠で賑わっているね。飾り山笠を見て来たかい?」
飾り山笠とは、高さ10メートルを超える山笠である。各流が町内ごとに飾る。
明治時代まではすべての山笠を曳いていたのだが、電線が町に張りめぐらされるようになると、巨大な山笠は曳くことができなくなってしまった。そこで路上に供える飾り山笠と、各流の男衆が曳く小型の舁き山笠とに別けられたのである。
小型とはいえ舁き山笠は、重さ1トンを超える。
「僕は山笠より、故郷の京都祇園祭の山車のほうが馴染みがあるけれどね。でも、博多祇園山笠は、勇壮さがいかにも九州男児って感じだよね」
言いながら、大介は携帯電話の電源をオフにしようとポケットから取り出した。
正朝も自分の携帯電話の電源をオフにした。それがディーラーの決まりごとだ。
途端に大介の携帯電話の着信音が鳴った。
『あの鐘を鳴らすのはあなた』のメロディーだった。
ハッと大介の顔色が変わった。
コーヒーカップから口を離して、正朝は大介の顔を見た。
大介はメールの表示を読みながら、ワナワナと震え始めた。
隆史が出勤してきた。
大介が食い入るように携帯電話のメールの画面を読んでいることに、隆史も気がついた。
「ダメだ。会わない。僕は会わないって誓ったじゃないかっ」
大介が珍しく大声でわめいた。
「どげんしたと。何のメールが届いたとかいね」
隆史が大介の肩をポンと叩いて、携帯電話の画面を覗き込んだ。
隆史が無遠慮に画面のメール文を読み上げる。
「んっ。“もう大丈夫よ。明日午後3時に博多駅で会いましょう”か。大介、誰からんメールだ?」
「夕子だよ。静岡の入院施設からメールしてきたんだ」
「おおっ。そーげなか。明日午後3時っち、お前、博多駅まで会いに行っちやれ。そいが責任っちゆうもんちゃろう」
あれほど夕子との付き合いに反対していた隆史だったが、動揺する大介にそう声をかけた。
その晩、正朝と隆史はゲームに勝った。店に利益をもたらした。
大介は、それまでの連勝が嘘のように負けた。店に損失をもたらした。
午前5時。控え室で着替えながら、隆史が大介に言った。
「やはり、会いに行け。会っちから別れるっち決めるんも、付き合うっち決めるんも良か。動揺した心理んままでディーラーば続けるんは、精神的に良くなかちゃろう」