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42 薫はときおり、薬院のマンションを訪ねてきては正朝のために料理を作った。
2人で、街を歩くこともあった。
非番の日には、酒を飲みにも出かけた。
部屋に泊まっていく夜もあった。
だが正朝は、薫の父親のことを尋ねはしなかった。
シャトーでカードをさばく日々が過ぎていった。
7月9日、2人は中洲4丁目の大洋映画劇場で映画を観た後、川端町の商店街を歩き、川端ぜんざいの店に入った。川端ぜんざい広場は、露店の縁台で食べられる。
大正初期に川原家が始めたぜんざい屋だったが、昭和60年に後継者が絶えて店舗も消失した。ところが、その味を懐かしむ博多っ子が多く、川端商店街の有志によって、再開されたのである。
ひとくち食べるごとに、付け合わせのたくあんをかじり、お茶を飲まなければ、次のひとくちが食べられないほどに甘いと評判だった。
いわば幻の味の復古のぜんざいである。
金、土、日曜日と祝日にしか営業しないぜんざい広場だが、この日は開いていた。
「マサ君、甘いもん好いとうもんね」
縁台に座りながら、薫は氷ぜんざいを注文した。かき氷に抹茶と小豆粒がのせられたぜんざいである。正朝は、いつものように、熱々のぜんざいを注文した。
ハフハフと息を吐きながら、正朝は熱いぜんざいを口に運ぶ。薫が笑った。
「そげん甘か、粘っこいぜんざいは、日本広しといえどもここにしかなか」
対岸は中洲だ。間を流れる博多川の風が吹き込んでくる。
ぜんざいを食べ終えた頃は、午後3時になっていた。
シャトーへの出勤には、まだ時間がある。
2人は川端商店街を北西に歩き、博多リバレインに向かった。
かつて、正朝が薫にルイヴィトンのバッグを買ったビルだ。
博多リバレインの建つ昭和通りに出た。
長半被を着て、ふんどしに黒長足袋、頭にねじり鉢巻きを巻いた男たちがぞろぞろと歩いて行く。薫が男たちの行列を見て、気がついたように言った。
「あぁ、今日は山笠のお汐井とりの日たい」
「んっ、お汐井とり?」
「そう、7月15日は博多祇園山笠たい。9日のお汐井とりは、激しい祇園山笠の祭の最中に、事故や怪我に遭わんように、祈願する行事なんよ。昭和通りの石堂大橋から、筥崎八幡宮まで駆けて行って、海に向かってかしわ手を打って、浜辺の砂を取るとよ」
「ふーん」
「筥崎八幡宮に参拝して、戻ってきて祇園山笠の出発点の櫛田神社にも参拝すると。持ち帰った浜砂は升や竹製のテボに入れて、祇園山笠の行事に出かける前に身体にふりかけて、お清めにすると。ねぇ、マサ君。観に行こう」
薫ははしゃいで、正朝の手を取った。是非もなく正朝は薫に引っ張られて行った。
長半被姿の男たちの後を着いて行く。博多リバレイン前から石堂大橋までは昭和通りを760メートル。下呉服町、中呉服町には男たちがあふれかえっていた。
御笠川をはさんで、対岸は千代3丁目だ。
「祇園山笠は博多の祭たい。福岡エリアの町内は参加しないとよ。流があってね」
「流?」
「うーん、標準語でゆうなら、流は町会っちゆう意味になるかな。7つの流れがあるとよ。
大黒流、東流、中洲流、西流、千代流、恵比須流、土居流。今日のお汐井とりは、この7つの流が午後3時30分から石堂大橋を5分おきに出発して、筥崎八幡宮まで2キロ以上を駆けて行くと。午後5時30分頃には、海に向かってかしわ手ば打って、浜辺の砂を取るとよ」
長半被は、集団ごとに柄が異なる。流の所属を半被の柄で見分けているのだ。
午後3時30分、おおぜいの見物客が見守るなか、100人を超す各流の男たちが石堂大橋を出発した。総勢は1000人を超えているのではなかろうか。
「おっしょい、おっしょい、おっしょい、おっしょい」
掛け声をあげながら、マラソンの走り方で男たちが駆けて去る。
「ねぇ、筥崎まで先回りして、お汐井とりば観ようもん」
薫は正朝に提案した。
「どうやって先回りするんだ。こんなに人混みじゃ、タクシーもつかまらないだろう」
「地下鉄で行けばよかろうもん」
薫はまたも正朝の手を取って、ずんずんと道を歩く。
地下鉄2号線。呉服町の駅から、2人は筥崎宮前まで移動した。
筥崎八幡宮は広大な敷地を持つ神社だった。
すでにお汐井とりの男衆を見物しようと人々が参道に集まっていた。
「おっしょい、おっしょい、おっしょい、おっしょい」
男たちが駆けてくる。午後5時を過ぎていた。
「わぁー、勇壮で男らしかぁー」
はしゃぐ薫の横顔を正朝は見ていた。