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37 現在に伝わるどんたくは、戦後復興と高度経済成長を象徴するように発展してきた。
太平洋戦争中の7年間は、どくたくは中止されていた。
終戦翌年の昭和21年、がれきの街に、紙で肩衣を作り、馬はハリボテで、三味線と太鼓は戦災をまぬがれた家から、かきあつめ、松囃子がお囃子を鳴らして街中を練り歩いた。
戦禍に打ちひしがれていた福岡、博多の市民を勇気づけたという。
そして昭和37年、高度経済成長に向かう時代、どんたくは市民が総参加する、博多どんたく港まつりとして現在の形へと発展して定着していったのである。
市民総参加なのだから、芸能ごとなら何でもありのお祭り騒ぎになったのだ。
参加どんたく隊は約580団体、出場者約3万1千人、見物客約200万人。さらに市内30ヶ所に設けられる舞台では、演舞が披露される。とてもすべては観切れない。
春のゴールデンウィーク期間中、日本で一番の祭りといわれるようになっている。
200万人を超える観客に混じって、薫ははしゃいだように、どんたくのパレードを眺めている。眺めるというより、祭の喧騒にとけこむかのような興奮である。
正朝はパレードもクールに眺めていた。それより笑い続ける薫の横顔を眺めていた。
薫は、ときおりパレードに手を振って、楽しんでいる。
演劇集団、南京玉すだれ、ダンス隊、ひょっとこ踊り……パレードは続いた。
あっという間に午後5時を過ぎた。まだパレードは続いている。
「おなかがすいたやろう、マサ君。でも、どんたくの期間中は天神あたりのレストランは、どこも満席やからね。どんたくから離れて、港へ行こう」
天神駅前から渡辺通りを北へ人混みをかき分けながら歩き、昭和通りに出る。
パレードのコースを外れた。薫は、中央郵便局の裏手からタクシーをつかまえた。
「ベイサイドプレイス博多まで」
2人は博多港へ向かった。
博多港へは10分ほどで着いた。西に須崎ふ頭、目の前が博多ふ頭、東に中央ふ頭、さらに東に東浜ふ頭、その奥が箱崎ふ頭、香椎パークポート、アイランドシティ地区と続く。
物流の国際コンテナ船、旅客船が行き交う日本屈指の巨大港湾だ。
壱岐、対馬、五島列島へのフェリーがこの港から出ている。
ベイサイドプレイス博多ふ頭はレストランや各種ショップの他に、多目的ホール、イベントスペース、スノーボードの屋内ゲレンデなどが集合するアミューズメントエリアだ。
2人は、まずターミナルへ向かった。市営の旅客船の乗り場がある。
「ここからは志賀島や玄海島まで渡る船が出とるとよ。国内だけじゃなく、国際旅客船もあるとよ。行ってみようか」
薫が正朝の手を取って案内したのは、韓国の釜山港まで向かう国際船の桟橋だった。
ビートルという船が停泊していた。
「こん高速船に乗れば、韓国まで3時間もかからないで到着たい。日帰り国際旅行ができるんよ。どんたくにも、きっと韓国からの観光客がおおぜい来とるったい」
正朝はビートル号を見つめた。
―もしかして、詩音、いやミソンはこの船に乗って日本にやって来たのだろうか。
「どげんかした?」
薫の言葉にハッとした正朝だった。
薫と一緒にいるときに、ミソンのことを思い出したことに自分でも驚いていた。
「何でもない、それより腹が減った」
「ごめんね、気がつかんで。レストランには行かんと、何か買って食べよう」
市営旅客船乗り場の待合室の前の広場で、屋台のたこ焼きと焼きそばを買った。
海が見える岸辺の遊歩道には白い柵が張られている。
2人は海を眺めながら、たこ焼きをつまんだ。
「こうゆうんも、たまにはよかね」
ふふふ、と薫が笑う。その笑顔を夕陽が照らす。
正朝は黙って、たこ焼きを楊枝に差した。薫が海を指さす。
「博多湾の向こうは玄界灘。そして日本海。海は広いな、大きいな」
焼きそばを箸でつまむと、はいと言って、正朝の口元に差し出した。
正朝は、フッと笑いながら、薫の差し出した焼きそばを頬張った。
しばらく港の遊歩道を歩くと、小さな社が見えてきた。
櫛田神社浜宮と石碑に彫られている。
「あっ、こぎゃんところに櫛田神社の別宮が建っちいたんだ」
たこ焼きと焼きそばを食べ終えた2人は、揃って浜宮に参拝した。
2礼2拍手1礼。
「うふっ、ふふふふ」
参拝を終えた薫が笑う。