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33 そんな心境の変化を薄々、自覚していた正朝だった。
―届けてやるか……。
以前の正朝だったら、こんな人形の束など路上に放置して立ち去っていただろう。
だが、どう見てもこの人形の束は詩音にとって大切なものに思えたのだ。
「自分の家族のお守りかな」
つぶやくと、正朝は川端町へではなく、中洲1丁目に向かって歩き出した。
詩音の居所は知っている。ソープランド、ルネ。電飾の看板がけばけばしい。
黒いガラスの自動ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
現れたのは化粧の濃い中年の女だった。
太った身体にパーマをかけた髪型。香水の匂いが正朝の鼻をついた。赤いフレームの眼鏡。細い目。太い指にいくつもの指輪。
「詩音はいるかな」
正朝が言うと、女はさも残念そうに言った。
「あらぁ、詩音ちゃん。いま予約のお客様が入ってお相手中ですのよ。別の女の子ではご納得いただけませんこと?」
嘘だ。詩音はつい先ほどルネに戻ったばかりだ。正朝の直感が自分に告げる。
―この女に託したのでは、拾い物の人形は詩音の手には戻らない。
ディーラーの勘だった。一瞬のうちに人物を読み取る癖が正朝にはついていた。
「なら、由佳里を指名したい。空いているかな」
正朝は、隆史たちちと初めてルネを訪れたときに自分の相手を務めてくれた由佳里を思い出した。
拾い物を由佳里に託そうと考えたのだった。
「由佳里ちゃんですね。いま支度させますから、しばらくお待ちください」
中年女は丸々とした顔に作り笑いを浮かべて、カウンターの奥へ消えた。
ソファーに腰かけて5分も待つと、中年女が正朝を誘った。
「支度が調いました。こちらへどうぞ」
カーテンで仕切られたフロアに由佳里が待っていた。
「ごゆっくり」
作り笑いの中年女が去って行く。
「久しぶりやね、正朝しゃん」
由佳里が笑って迎えた。自分の名前を覚えていたことに正朝は驚いた。
エレベータに乗り、3階の由佳里の部屋に着いた。
ドアが締まる。さっそく正朝は切り出した。
「サービス料は支払う。だが前回のようなサービスはいらない。こいつを詩音に渡してほしいんだ」
由佳里は正朝の手からフエルト人形の束を受けとった。
「あら、これ詩音ちゃんが大事にしとうお守りたい。どげんしたと?」
「飢人地蔵の前で拾ったんだ」
「はぁ、あの娘、またお地蔵さんに願掛けに行っとったとね」
「願掛け?」
「うん、詩音ちゃんが“家族に早く会えますように”って願掛けとると聞いたとよ」
由佳里は、ベッドの上に腰かけた正朝の隣に自分も腰を降ろした。
「いつも、夕方になると、店を抜けて出かけるけん。“どこに何しに行くの”って尋ねたことがあるったい。そうしたら、詩音ちゃんは“お地蔵様に願掛け”と答えたんよ」
「詩音の家族は、どこにいるんだ?」
「そいが分からんと。詩音ちゃんに尋ねても“遠く”としか答えよらんもん。たぶん日本じゃなくて、外国。詩音ちゃんも韓国から来とるみたいやからね。韓国なんじゃなかかねぇ」
正朝は続けて質問した。
「俺を出迎えた太ったおばさんは、いったい誰なんだ」
「ああ、賀代子しゃん。この店の経営者たい。本名かどうかは知らんけれど、皆んなからは賀代子しゃんと呼ばれとると。何でも若い頃は私らと同じソープ嬢だったらしか。そのときの源氏名がルネだったらしか。そんでこの店を買い取ってルネとして経営しとるんよ。自分でお金ば貯めて買ったんやなくて、パトロンの男がおるたい。若い頃、賀代子しゃんの常連客だった男の人。賀代子しゃんもむごかとよ、詩音ちゃんに……」
由佳里は言葉を途切らせた。しゃべりすぎたと思ったのだろうか。
正朝が畳みかけた。
「どう、むごいんだ?」
「ふぅ、正朝しゃんになら、話してもよかかね。そいがね、詩音ちゃんも私らと同じくサービス料ば受けとるでしょう。ところがそのサービス料を賀代子しゃんが取りあげてしまうとよ。“これは預かり金や”言うてね。もう300万円くらいは取りあげられとるんやなかかねぇ」
「何の預かり金なんだ」