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26闇社会の風貌が正朝には染みついているのだろう。ヤクザ者と誤解して、皆んな視線をそらすのだろう。
午後7時、2人は天神駅裏のラーメン屋台の店『小金ちゃん』に腰を降ろした。
名物の焼きラーメンを食べた。酒は薫だけが飲んだ。
カジノでの勝負の前に、正朝は酒を飲まない。それは厳格に守ることなのだ。
「今夜も勝っちくれんね」
ポンッと薫は、ほろ酔い加減で正朝のひざを叩いた。それが薫の激励だった。
「あぁ、行ってくる」
正朝は天神駅から天神中央公園を抜け、西中洲から福博であい橋を渡り、対岸の中洲4丁目に向かって歩いていった。
―行ってくる……か。夫婦者の会話みたいだな。
正朝は思った。愛か、愛じゃないのか。愛なら、愛であって欲しい。
―幸せに出来るか。
幸せとは何だろう。このまま薫と幸せになれるのか。薫の幸せとは何だろう。
―いかん。勝負の前に迷いごとの考えなどを持っていては肩が狂う。
正朝は薫のことを考えるのをやめた。今夜の甘味のセレクトに心を移した。
「ぜんざいか、マカロンか。もう焼き餅の店は閉まっているだろうな」
勤務先のシャトーへ向かう通りを過ぎて、中洲のさらに対岸の川端町へ向かう。
「おー、正朝」
声をかけてきたのは隆史だった。バイクを手押ししている。ハーレーダビットソンアイアン883。スリムな車体のスポーツ車。
「ゆうべは酒に酔いちくれてたばってん。電車で帰った。今夜は飲まんで、こいつを走らせて帰るけんが、駐車場からとってきて、ちょこっと町ば走っちきよった。出勤まであと1時間以上はあるな。コーヒーでも、どけんね」
正朝は隆史に誘われて、櫛田神社前の喫茶店トリヨンフに入った。
昭和の雰囲気を残すレトロな喫茶店だ。
隆史はコーヒーを注文した。
正朝はコーヒーに加えて、ホットケーキを注文した。
隆史がコーヒーカップを傾けながら言う。
「俺は勝負の前の下準備には一杯のコーヒーたい。正朝、ちゃくそげな甘いもんの食べられるな」
正朝はメープルシロップをホットケーキにたっぷりとかけながら答えた。
「ブドウ糖は頭脳を明晰にする。それに甘味は俺にとってのゲン担ぎなんだ」
「ふーん、そげなもんか」
2人はコーヒーを飲み、正朝は甘いホットケーキを食べ続けた。
トリヨンフを出て、隆史はシャトーの店の前にある駐車場にバイクを駐めに行った。
「おい、あれ……」
バイクを駐車していた隆史が、隣に立つ正朝に声をかけた。
スーツ姿の大介が、中洲1丁目の方から歩いてきた。
「ふだん大介は反対側の5丁目からやって来るとやろ。あいつ……深刻な顔して、どげんしたんちゃろう」
大介は正朝たちには気がつかず、うつむいたまま、シャトーの店へと入っていった。
その晩、正朝はバカラで勝ち、隆史はルーレットで勝った。肩治しは続いているようだ。
純平は相変わらず、客の求めに応じてカクテルやつまみを運んでいた。
大介だけがポーカーで120万円ほど負け込んだ。
午前5時。控え室。隆史は大介に声をかけた。
「気にせんでよか。明日また勝てばよかろうもんが」
大介は返事をしなかった。
「行くところがあるから」
そう告げて、中洲1丁目へと去って行った。後ろ姿を見送りながらまた隆史が言った。
「あいつ、深刻な顔して、どげんしたんちゃろう」
4月30日、正朝は1週間を勝ち続けた。隆史もまずまずの勝敗だった。
ただ大介だけが、20万円、30万円、50万円と負けを重ねていた。午前5時、隆史が革ジャンに着替えながら、大介に声をかけた。
「どげんしたとね、フロアではいつもの冷徹な顔を保っとうが、控え室に戻ると、その深刻な顔ばい。思い詰めた顔ばしとう。何かあったんか。今夜は俺も付き合うけん。肩治しにまたソープランドでも行くっちしちゃうか」
「……肩治し、ねぇ」
大介は両手で顔を覆って、ふぅとため息をついた。
「肩治しにはなっていないなぁ。ふふ、隆史が連れて行ってくれるというソープじゃ、僕は、もう常連さんだよ」