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23しかしそうしたことは店長の仕事であって、正朝をはじめディーラー達は知らないでいいことなのだ。
深尾店長と渡辺刑事がもう見えなくなった路上で、隆史が少し大きな声で言った。
「今夜は、肩ば治しにいかんね」
肩を治すとは、技術が衰えたり、ツキから見放されたりしたときにディーラー達同士でバカ騒ぎをして、流れを直すことを意味している。
「どこへ行くんだい」
大介が尋ねた。隆史がすかさず答えた。
「1丁目たい。今夜は泡まみれでパァーッとやろうや」
中洲1丁目はシャトーから200メートルと離れていない。しかし小道を挟んで2丁目とは、またがらりと雰囲気が変わる。1丁目はソープランド店街だ。
「純平、お前の分の金は俺が支払ってやるばい。一緒に女ば抱いて、ゲン直しばい」
隆史の誘い言葉に、4人は中洲1丁目のソープランド街へと向かった。
ルネという店に入った。隆史は上機嫌で黒いガラスの自動ドアを通る。
待合室のソファーにどっかりと腰かけて、入浴料1人1万円、4人分、4万円を支払う。
「よか、よか。入浴料は俺のおごりばい。ただしソープ嬢へのサービス料は各自の支払いにしとうと。肩治しのゲン担ぎは自分で払わんとご利益がなか」
言いながら、純平を手招きして呼び寄せ3万円を握らせた。
「お前の分は全額、俺のおごりたい。かわいがってもらえよ。青年っ」
ポンッと勢いよく純平の肩を叩いた。隆史の豪放磊落ぶりに大介が苦笑した。
マネージャーらしき男がカウンターから急ぎ足に歩み寄ってきた。もみ手の平身低頭という態度である。隆史は常連客らしい。
「4人ばい。誰にどの女の子とカップルにさせるか、任せるばい。俺はいつもの娘でよかよ」
「それが、美咲さんはあいにくお休みでしてね。松尾様のお気に召す娘を準備させます」
「ふーん、まぁ、任せるばい。あとの3人はべっぴんしゃんで頼むばい」
「承知致しました。ただいま支度を調えますので、もうしばらくお待ちください」
まず大介が呼ばれた。ソープ嬢の支度が調ったらしい。
大介は待合室のソファーから立ち上がり、カーテンで仕切られた廊下で出迎えるソープ嬢の挨拶を受けていた。正朝からはカーテンの仕切りで2人の様子は見えない。
「夕子です。いらっしゃいませ。よろしくお願いします。さぁ、こちらのエレベータで」
ソープ嬢の声だけが聞こえる。たぶん2人はエレベータに乗ったのだろう。静かになった。続いて純平が招かれた。やはりカーテンで隠されて見えない。
「詩音いいます。どじょ、よろしくお願いします」
どこかで聞いたことのある声だと正朝は思ったが、詮索の思考は巡らせなかった。
続いて正朝が呼ばれた。赤いカーテンの仕切りの内側に入る。
「由佳里です。初めまして、ご案内します」
現れたのはアイシャドーと口紅の濃い女だった。年齢は30歳を越えているだろう。
背が高く、足が細く、バストは大きな細面の女だった。
由佳里に誘われて、カーテンの内側で2人乗りの狭いエレベータに乗った。
「正朝っ、観音様ば拝んで、肩ば治してもらってこい。90分後にここで待ち合わせだ」
エレベータに乗り込む寸前に、カーテンの向こうから隆史の激励の声が聞こえた。
良い漢だと思う。隆史は友情に厚く、良い漢だ。
その友情表現が、こうした風俗店に誘うという直情的なものだとしても。
「ふぅーっ」
正朝はエレベータのなかで、そう思ってため息をもらした。
「お客さん、疲れとうと?。そいやったら、あたしがたっぷり癒やしてから差し上げましゅ」
由佳里は、もちろん本名ではあるまい。金のための、リップサービスだとしても、暖かい言葉には癒やされる。つかの間の欲情に溺れてみるのも悪くはない。正朝は、隆史のように欲情の発散にすべてをゆだねて、鬱積した気持ちを解消するタイプではない。
そんな自分に、離人感とあきらめと、醒めた哀しみを抱えて、正朝は由佳里とエレベータに乗っていた。
3階でドアは開いた。狭い廊下を由佳里は歩いて行く。
―この女、由佳里は今夜、何人の男を抱いたのだろう。
そんな醒めた気持ちを抱えて、正朝は由佳里の開く個室のドアへと入っていった。
「お客さん、名前は何とお呼びすればよかですか」
由佳里が尋ねてきた。お客さんと呼び続けるのでは親近感が持てないということだろう。
「正朝、正朝が俺の本名だ」
「うれしか、本名ば教えてくれるお客さんは少なかもんねぇ。正朝しゃん、いまお風呂にお湯ば溜めるけん。待っとって」
バスタブに蛇口をひねって、湯を注ぐ。引き返してきた由佳里は、正朝の服を脱がせ始めた。グレーのジャケットを脱がせ、黒いシャツのボタンを外す。正朝の鍛えられた上半身が現れる。由佳里は、ハッとしたように正朝の腹部の傷跡を見た。
「あっ……。正朝しゃん達、お仲間の人も、そげんな雰囲気やったけど……。もしかして、裏稼業のもんやか」