純平が控え室に入ってきた。
「マサ兄ぃ、大丈夫っすか。どげんしたとですか。いつものマサ兄ぃらしくなかばい」
「バーカウンターを空けてもらっちゃ困るよ。純平、まぁいい。今夜は君も……」
そう深尾店長が言いかけたとき、また控え室のドアが開いた。黒服が1人入ってきた。 深尾店長に耳打ちをした。
「うん、そうか。すぐに行く」
深尾店長は黒服にうなずいた。そして4人に向かって、
「今夜の次の勝負は、いまテーブルに就いているディーラーたちに延長で続けてもらう。皆んな、今夜は肩が良くない。流れも良くない方に行くかもしれん。隆史君も純平君も含めて4人は、今夜はもう帰って良いぞ。バーのカウンターから、正朝君達の勝負の行方をキョロキョロと眺めている純平君も、店の雰囲気を壊してしまうからね」
言い終えると、急ぎ足に控え室を出て行った。
午前3時10分。私服に着替えた正朝と隆史と大介と純平は、シャトーを出た。
店の入り口では深尾店長と1人の男が話し込んでいた。
「うーん、何かこの店で楽しそうなこと。やってるんじゃないのぉー」
ニヤニヤと笑いながら、男が深尾店長の肩に腕を回した。馴れ馴れしい。
4人は、急ぎ足で店の外を歩き出した。男は立ち去る正朝たちに声をかけた。
「おぉっ、あんちゃん達。何か手先が器用そうだねぇ。このお店に勤めてんのぉ。なぁ、どんなお仕事をしているのか、俺に話しちゃくれないかなぁー」
隆史が小声で言った。
「急ごう。また渡辺しゃんが、店長にからんどる」
「ああ」
と大介が小声で隆史に応えた。正朝は黙っていた。
純平だけが、男のかけ声に反応して振り返った。
「見るな、純平。俺たちには関係のなかことばい」
隆史が純平を小声で叱責した。純平はあわてて隆史の後を着いて歩いた。
渡辺謙、有名俳優と同姓同名の男は、刑事である。半年前に博多署にやって来た。
背が高く、顔の彫りが深く、俳優になれそうな風貌ではある。
以前は横浜の警察署にいたらしい。
シャトーが違法カジノ店だということは、おそらく承知である。
「まぁまぁまぁ、渡辺さん。お店はただのバーですよ。それより私がおごりますから、今夜のところは、飲みに参りましょう。ねっ、ねっ」
深尾店長が渡辺刑事をなだめるように誘う。
ときおり繰り広げられる店の前での光景なのだ。毎回が同じ展開になる。
「そっかぁー。今夜は上カルビっていう気分じゃないんだよなぁー。いけすのお魚ちゃん。そうねぇ、ふぐのしゃぶしゃぶなんか食べたい気分かなぁ」
「ふぐですね。任せてください。私がご馳走いたしますよ」
深尾店長が渡辺刑事と連れ立って、中洲の街に去って行く。
そこから先は正朝たち4人は、あずかり知らぬことなのだ。
「今夜は、いくら、せびられるのかな?」
大介がつぶやいた。
「20万から30万円ってところじゃなかとか」
隆史が小声でささやくように答えた。
「えっ、金をせびりに来たとですか。あん男」
「黙って歩け、純平。店長に任せておけばよかことばい」
また隆史が叱責した。
実際に深尾店長が渡辺刑事に金銭を渡しているところは見たことがない。
ただ、シャトーの店前にやって来ては、店の前で見張りに立っている黒服に向かって、
「お兄ちゃん。ここ、どんなお店?」
と声をかける。それが深尾店長を呼び出す合図となっている。
黒服から連絡が入ると、深尾は急ぎ足に店の玄関に渡辺刑事を接待しに向かう。
実際に、刑事に違法カジノの現場を押さえられたら、一巻の終わりだ。
警察で違法カジノの検挙、つまりガサ入れの予定が立つと、渡辺刑事が深尾店長に日時をそれとなく知らせるという、もっぱらの噂でもある。真偽は分からない。
ただ深尾店長が、シャトーの全日休業を突然、決定することがある。
シャトーの全日休業の日に、博多の別の違法カジノ店が検挙されたこともある。
渡辺刑事の事前予告で、シャトーは検挙をまぬがれるのだとしたら、つじつまが合う。