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こうして指先の感覚、薄い紙でもカウントできる技術を確かめる。
正朝の目覚めたときの儀式というか、訓練というか、それが日課だった。
続いて緑の羅紗を張ったテーブルに向かう。ビーのトランプをセットする。
シャッフルする。リフルシャッフルだ。
ジョーカー2枚を含む54枚のカードを1秒もかけずにジャッと混ぜる。
続いて、ヒンズーシャッフルだ。カッターとも呼ばれる。スタスタと花札を切る要領で混ぜていく。日本で最も一般的なカードの混ぜ方として知られる。
オーバーハンドシャッフル、ファローシャッフル。ひと通りのシャッフルの練習をして、
仕上げに、カードを表面に向けて、テーブルの上に扇形に並べる。
スペードとクラブ、つまり黒いマークのカード群と、ハートとダイヤ、つまり赤いマークのカードの群れに、きれいに扇は分かれていた。
「よしっ」
4月16日、午後1時。テレビ番組で今日の湿度を調べた。
黒色のシャツにジーンズ、薄青色のスプリングコート。今日はオールデンの茶色の革靴を履いた。薬院のマンションを出て、中洲に向かって歩き出した。

かろのうろんで、ごぼ天うろんを注文する。店内をカエルの縁起物が飾る。縁起に囲まれているようで、居心地が良い。
ゴボウの掻き揚げ天麩羅をカリリと食らい、うどんをすする。丼鉢の底が見えてくる。 上段の「ろ」の文字と下段の「ろ」の文字がたてに並ぶのを確かめる。
―よしっ。
と心のなかで、つぶやく。ゲンが良い。
櫛田神社の境内に足を進める。2礼2拍手1礼の作法に則り参拝する。
櫛田神社は街中にあるので境内はさほど広くはない。
昨日、薫と行った太宰府天満宮と比べると、じつにこじんまりとした神社だ。それでも威厳を感じる。まつられている祇園大明神とは素戔嗚の命の別名だ。雄々しい神である。
拝殿に隣接して、飾り山笠がそびえている。
櫛田神社は、夏の博多祇園山笠の出発地点の神社なのだ。
拝殿の脇には、歴代の関取が奉納した力石が並ぶ。
その昔、博多の男たちが巨石を持ち上げて力比べをした。どれほどの大きさの石を持ち上げられたかを競ったのである。その名残が、関取衆からの力石奉納につながった。
その力石が並ぶ、すぐ近く。境内に立つ夫婦銀杏の樹は正朝のお気に入りだった。
樹に触る。樹木の命脈が手のひらを通じて伝わってくる気がする。
「ふぅーっ」
と息を吐き、正朝は境内を後にした。
正面の鳥居からではなく、中洲に直結している脇の鳥居から境内を出ることにした。
赤い幟を立てたテントまで赤色の小さな露店がある。「博多の名物」「櫛田のやきもち」の看板が見える。隣はラーメン屋。向かいは質素な明太子屋の一角だ。
それは昨日、薫と太宰府天満宮のお石茶屋で食べた梅が枝餅に似た、粒餡入りの焼き餅菓子だった。
「今日の甘味は、これで補給かな」
正朝は苦笑する。本来は、商店街をぶらついてどこかで甘味を食べようと思っていた。
櫛田のやきもちを見た途端、昨日の薫とのことが思い起こされて、梅が枝餅もどきの櫛田のやきもちを食べようと心がわりをしたのだった。2つ買う。熱々だった。
少し冷ましてから食べようと、正朝は明治橋を渡って、中洲2丁目に向かった。
ふだんと同じように、中洲の北北東を流れる博多川を眺める場所に立った。
焼き餅を紙袋から取り出す。ホフホフと息を弾ませながら、粒餡の詰まった餅を食べ始めた。博多川を眺めながらの立ち食いである。
甘味は勝負前の正朝に欠かせない。頭が冴え、集中力が高まり、感覚が研ぎ澄まされる。
午後2時30分。シャトーに出勤するには、まだ30分の猶予がある。
博多川の流れをジッと見つめる少女が立っていた。若く見える。15歳か16歳か。粗末な服を着ている。ピンク色のトレーナーに、白いスエットパンツ。サンダル履き。
ウミネコが飛来するのを眺めている。正朝もウミネコを眺めていた。
2人の距離は2メートルと離れていなかった。
群れから離れて低く飛んでいたウミネコが1羽、上空からカラスの急襲を受けた。
「あっ」
少女が声をあげるのと、正朝が眉をひそめるのが一緒だった。
まだ幼いウミネコなのだろう。身体がひとまわり小さかった。目ざとく見つけたカラスが襲いかかったのだ。白い羽根を散らしながら、ウミネコはカラスに連れ去られた。
白い羽根が川面に落ちて流されてゆくのを正朝は目で追った。
少女も、目で追っていた。
「チウッチャ(韓国語で運命)……」