(13)

13「大学へは行かなくていいのか」
「うち、今日は自主休講たい。マサ君、今日は休み?。どこかへ連れてってくれんね」
普段の休みの日には、正朝は一日中、カードさばきの練習をする。それから夜は街に繰り出して、酒を飲む。ただそれだけの生活だった。
どこかへ連れて行ってくれと言われても、行くべき場所は思いつかない。
「太宰府の天神様にお参りに行こう。それから博多に戻ってどこかで飲もう。ねっ」
2人は午後の朝食を取り、出かけることにした。
薬院駅から西鉄線に乗る。西鉄二日市駅で乗り換えて、太宰府駅に着いたときは、午後2時を過ぎていた。
春の太宰府天満宮は、梅の花の盛りは過ぎ、それでもポカポカとした陽気のなかに大勢の人たちで賑わっていた。
山のように中央が盛り上がった太鼓橋を渡る。
薫は、ずっと正朝の左腕に自分の両手をからめたままだった。
拝殿は朱色に輝いている。正朝の腕を離し、拝殿に駆け寄った薫は、ルイヴィトンの財布から500円玉を賽銭箱に入れると、丁寧に頭を下げ、パンパンとかしわ手を打って、
「どうか、マサ君がこれからも勝ち続けますように」
大きな声で、両手を合わせた。その後ろに立って正朝は、薄青色のスプリングコートのポケットに両手を突っ込んだまま、薫の背中を眺めていた。
拝殿と本殿の奥へ続く道を進んだ。お石茶屋という店が目の前に現れた。
樹林に囲まれた、木造のいかにも古い茶屋だった。
「ここはね。お石しゃんという美人(べっぴん)娘がお客をもてなしていたことから、名前がついたんよ。江戸時代の娘しゃんだったかな。ねぇ、梅が枝餅、食べよう」
梅ケ枝餅は、もち米とうるち米を混ぜ合わせた粉で、つぶ餡をくるみ、鉄の型にはめて焼いた太宰府の名物だ。
伝説では、平安時代に京都から太宰府に左遷されてきた菅原道真を、地元の民が慰めようと、梅の枝にこの餅を指して焼いて献上したのが起源とされている。
その菅原道真を神としてまつったのが太宰府天満宮である。
「お石しゃんを、好いとう人は大勢おったとやろけど、お石さんが好いとう男の人はおったとやろかね。どんな美人しゃんで、どげんな人生やったとやろ?」
運ばれてきた梅が枝餅を食べながら、薫が言った。正朝は何とも答えなかった。
「うちには、マサ君がおるばい。ねぇ、そうやろ」
正朝は、また黙っていた。甘い梅が枝餅を口に運び、抹茶をすする。
茶屋を出て、境内に戻る。境内からの帰り道に薫はおみくじを引いた。
凶の卦が出た。
ハッとしたように薫はおみくじの紙面から正朝を見上げた。
「この凶は、うちの運命ばい。マサ君の運命は、うちらの運命は、きっと……」
言葉を詰まらせた薫だった。眼が赤くうるんでいる。涙をこらえている。薫は、
「これがマサ君の分たい」
言うと、次のおみくじを引いた。大吉が出た。
「ねっ、マサ君の運勢は、上上たい。悪いことはうちが引き受けるもん」
薫は自分の凶のおみくじを境内に用意された、みくじ結び処に結ぶと、振り返ってニコリと笑ってみせた。まだ目はうるんでいた。
帰り道、参拝に訪れるときよりも強く、薫は正朝の左腕に両手をからめギュッと握って歩いた。参道は観光地らしく土産店や、梅が枝餅を売る店が並んでいる。華やかで、賑やかな参道を2人は歩いた。しがみつく薫の両手が、正朝の左腕を締めつけた。
不安。それが薫の心にずっと残っているのかもしれない。正朝は薫の不安を感じていたが、やさしい言葉のひとつも口にしなかった。愛か。愛じゃないのか。それすらも正朝には茫洋として分からなかった。
西鉄線に乗り、西鉄福岡駅、通称、天神駅に戻ってきた。
福岡市の天神の名は、街中にひっそりと建つ水鏡天神社に由来する。デパートやファッションビル、歓楽街、飲食店街で賑わう九州最大の街だ。
渡辺通り、天神西通り、親富孝通り、きらめき通り、明治通り、昭和通り、国体道路。
西鉄福岡駅を中心に、都会が形成されている。天神の街には高層ビルがない。これは福岡空港が街に近いためだ。航空法により、高さ70メートルを超える建物は建てられない。
だから天神の街は、空が広い。そこが東京や大阪とは違い、ひとつの解放感を街に与えている。
正朝は夕刻近い天神の街の空を見上げた。旅客機が上空を低く飛んで行くのが見えた。
「うち、ブランド品を見に言ってもよかと?。買い物はせんから、ウィンドウショッピングに付き合ってくれんね」
駅に隣接した三越デパート。駅の向かいの博多大丸デパートに向かった。大丸では、疲れた薫がコーヒーを飲みたいとせがんで、2人はオープンカフェでコーヒーを飲んだ。
天神コアビルをひと周りした後、2人は中洲を通り抜け、下川端の博多リバレインに向かった。このファッションビルはホテルオークラに隣接している。高級ブランドのテナントがひしめくビルである。
「あぁー、やっぱり、ここが落ち着くと。うち、いつもここで買い物してるとよ」
ダナキャラン、ルイヴィトン、ロエペ、ブルガリ、ゲラン……。
―薫は、そういえばブランド女だったんだな。
今さらのように正朝は薫の服飾を見る。
「何を見とうと?」
薫は正朝の瞳をのぞき込んで、キョトンとした顔をした。
薫はルイヴィトンの店頭を眺めていた。店員は馴染みらしかった。