(11)

11正朝は見つけた。クリーニング屋の店に太ったおかみさんが接客している。その奥でアイロンをせっせとかけているのはニコジさんだった。相変わらずニコニコと笑いながら、客の洗濯物の仕上げにアイロンをかけているのだった。
「ニコジさんは、このクリーニング屋の店主だったのか」
だが、正朝は黙って店の前を通りすぎた。店の外で客と接するのは良くない。そう思ってのことだった。2つのマカロンを食べ終えた。糖分が頭脳を目覚めさせる気がした。
引き返して、博多川にかかる中洲新橋を渡り、中洲2丁目に戻る。
そこで博多川を眺めながらマルボロを吸った。中洲は、博多川と那珂川にはさまれている。中洲の川から北北西に1キロもさかのぼれば博多港である。
海風が登ってくる。ウミネコが川の上を飛ぶ。
のんびりとした春の昼下がり。ウミネコの飛来を眺めながらマルボロを吸う。
2時45分。そろそろシャトーへ向かってディーラー服に着替える時刻だ。
正朝は薄青いスプリングコートのポケットから携帯灰皿を取り出すと、吸い殻を入れた。
勝負をする心構えは調った。正朝はシャトーに向かった。
見習いディーラーの髙野純平が控え室で着替える正朝に告げた。
「古賀先生、死んだそうですよ。何でも自宅で首を吊っているところを発見されたとか」
客の名前だった。夜の常連客だった。古賀由起夫は歯科医だった。
中洲から18キロ離れた筑紫野市から、ベンツに乗って店にやってくる羽振りの良い客だ。
メガネを掛け、ブリオーニの100万円を超えるスーツに身を包んだ男だった。
ひと晩で300万円から500万円を賭けていた。負けが続いて、負債は5000万円ほどに膨れていた。シャトーの店内にはバンクがある。チップを換金もするが、軍資金が足りなくなった客に、高利貸しもする。
古賀は身に着けていたロレックスの時計を50万円ほどに換金して、賭けたこともあった。
それでも負けた。シャトーだけでなく、他のカジノ店にも借金をしていると噂だった。
「上客だったのに、可哀想なことになりましたね」
純平はそう言ったが、正朝は何とも思わなかった。
「カジノは金を賭ける場所だ。命まで賭ける場所じゃねぇさ」
追い詰められて死ぬ奴が悪い。そもそもカジノに来るのが悪い。それだけの感情だった。
着替えを済ませると、正朝はカジノフロアに向かった。純平が後から付いてきた。
「今日は深尾店長からマサ兄ぃの合力をしろって、まかされたんですよ」
合力とはディーラーの補佐役だ。カードには触れないが、チップの回収や、勝った客へ
チップを渡す役を務める。そうしてテーブルに着きながら、正朝のような熟練したディーラーのカードさばきの技を見て学ぶ。
午後3時、正朝がディーラーを務めるバカラがスタートした。客は6人だった。
カードを客の前でシャッフルする。7箱分のカードをシャッフルし終えると、シューターにセットする。
音もなく、シューターからカードを配する。
「プレーヤーウィン」
「バンカーウィン」
流れるようにバカラは進行していった。2時間が過ぎ、ディーラー交代した。
一緒に控え室に戻った正朝に、純平は興奮したように言った。
「すごいっす。換算したら120万円が店の収益になっています。そいでいて客の数人にも勝たせているし、ゲームコントロールって、どげんしたら、そげんに格好良くできるとですか」
「さぁな、慣れだろう。お前も慣れればできるようになるさ」
2時間の休憩の後、またフロアに向かう。
ねばっている客が1人いた。純平が言った。
「ゴリさん。今日は昼から夜中までぶっ通しで勝負っすかね」
「フロアに降りたら、客の噂話はするな」
ゴリラに似ているからゴリさん。土建業だということだが、風貌はまさにゴリラだった。
「おいっ、響をロックで持って来い。それからフルーツの盛り合わせばい」
ゴリさんが注文する。シャトーの店内にはカウンターバーがある。
響、オールド・パー、山崎、ヘネシーVSOP、ビールそれにカクテルなどが注文できる。バーテンダーはディーラーの見習いが就くことが多い。
チーズの盛り合わせや、フルーツの盛り合わせなども提供する。
高額の勝負をする客は無料サービスで、これらを飲み、食べることができる。
このVIP待遇に気をよくして高額の勝負に出る客もいる。
ゴリさんは届けられたフルーツの盛り合わせからバナナをつまんで口をモグモグさせた。
「おいっ、兄しゃん。俺のおごりばい。響ば飲まんね」
ディーラーを務めている正朝にゴリさんはロックグラスを差し出した。
「申し訳ございませんが、ゲーム中はディーラーは飲めない規則です。ゲームの進行に支障をきたしますので」