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10「マンションの玄関にいるんじゃねぇのか。部屋の前にいるのか」
「うん、玄関はこのマンションにおる別の人がロックを解除して入ったときに、うちも一緒に入ったとよ」
「俺の部屋がここだって、どうして分かったんだ」
「だって、にぃさんが帰って部屋の明かりつけたとき、3階の1番端っこって分かった」
「ふぅーっ」
正朝は大きく息をした。ただの酔っ払い女じゃないな。野良猫みたいにずる賢い女だ。
またドンドンとドアを蹴る音がした。
「入れてくれんと、ひと晩中でも、このドアを蹴飛ばすけんね。近所迷惑やろう?。だから……入れてぇ」
言葉の終わりを、吊り上げるような甘え声だ。
正朝はドアを開いた。
「入れ」
短く言った。女は正朝の首に両手をからめて抱きついてきた。
殺風景な部屋だった。本棚とクローゼットと羅紗のテーブル。その上にカード。
「にぃさん、トランプ博打、やっとうと?」
「俺はディーラーだ。それににぃさんじゃない。武内正朝だ」
「うちは薫。堀本薫。これでも女子大生なんよ」
挨拶するなり、薫は正朝の唇に自分の唇を重ねた。
ドサリと2人はカーペットの上に倒れ込んだ。
薫は酔った勢いもあるのか、積極的だった。うるんだ目で正朝を見て、腰をくねらせながら、スーツの上着を脱ぎ、ブラウスを脱ぎ、スカートも外した。
白いガーター・ストッキングだけを残して裸体をさらした。
服を着ているときより、しまった身体をしていた。白い肌だった。
薫は、正朝の黒シャツを脱がせ、ジーンズのファスナーを片手でジーッと降ろす。
「傷跡……。やはり堅気の人やなかね」
薫は正朝の腹部の刺し傷の跡を、いとおしそうに指先で愛撫した。
正朝は薫の指先をジッと見ていた。
薫の中に入っていく。薫のなかに自分をほとばしらせる。
それは正拳を突き出すように、本能が正朝を動かしている。愛ではない。たぶん愛ではないが、どこかに何かをぶつけたい。そんな熱く、どこか醒めた感情で正朝は薫を抱いた。
「あ、あぁん……っく」
薫のコロンの香りと、酒くさい吐息が正朝を刺激した。
―自分も酒くさいんだろうか。
そんなことを考えながら、正朝は薫の身体が自分の身体の下でもだえ、くねるのをジッと見ていた。夜は静かだった。性的快感に興奮しながら、茫洋とした夜の静けさに、正朝は何かの気配を感じ取ろうとして、感じ取れなかった。
だから、ただ薫を抱いた。

4月14日。正朝の昼番勤務は1週間を過ぎた。
テレビ番組で天気予報を、特に湿度の変化を念入りに調べた。
午後3時からの勤めだが、午後1時には中洲に着く。いつものように公園地を通り、西中洲から福博であい橋を渡る。昼の中洲の島を抜け、中洲1丁目から橋で博多川を渡り、櫛田神社に向かう。
ギャンブラーは「ゲンを担ぐ」ものだ。2礼2拍手1礼の作法に則り、神社に参拝する。
それから遅めの昼食だ。櫛田神社の近くに「かろのうろん」という店がある。うどん屋だ。標準語に訳せば「角のうどん」となるのだろうが、博多なまりでこの店名がある。
店内はさほど広くない。縁起物で飾られていて、それがゲンを担ぐ正朝に心地よいのだ。
「ごぼ天うろん」を注文する。ゴボウの掻き揚げ天麩羅がのったうどんである。これも博多名物の料理のひとつだ。店の壁に、博多祇園山笠のパネル写真が飾ってある。
先陣を切って山笠を舁いている人物が写っている。
気がつけば、いま調理場でうどんをゆでている若い店主だった。
正朝は写真について何を尋ねるものでもない。ただ運ばれてきたうどんの丼の位置を、クル、クルリと回して、よしっと丼の位置を固定した。
天麩羅を食らい、うどんをすする。休みなく、いっきに食らう。汁を終いまですする。
丼の底が現れる。上段に「かろの」と、下段に「うろん」と書かれている。
丼鉢の正面であれば上段の「ろ」の文字と下段の「ろ」の文字がたて1直線に並ぶ。
―よし、まっすぐだ。今日も勝てる。
そんなゲンまで担ぐ。それが正朝だった。代金を置いて店を出る。ぶらぶらと川端町の商店街を歩く。間口の小さなマカロン屋がある。「アルデュール」である。勝負の前には甘いものを食べて、脳を目覚めさせておく。それも正朝の準備だった。
マカロンを2つほど買って、商店街を歩き食いする。
商店街から少し外れて上川端町から冷泉町をふらりと歩く。
「んっ」