(7)

7「やっぱ、ダメだったんね?」
「あー、こなくそ。5万円の負けばい」
爺さんと同じくバンカーに賭けていた男たちが頭を抱えたり、膝を叩いたりした。
そのバンカー側に賭けた1人にニコジさんがいた。
昼ばかりではなく、たまに夜にも来るので正朝は顔とあだ名を知っていた。
ニコジとは「いつもどんなときもニコニコしている親父」の略だ。ディーラー仲間がつけたあだ名だ。ニコジさんは、結果が分かる前から、そしてたぶん負けた勝負にも、やはりいつものようにニコニコしている。
ネズミ爺さんの肩がぴくりと動いた。正朝は、その肩にチラリと視線を移した。
うつむいていたネズミ爺さんが顔を挙げる。
爺さんがカードを表にひっくり返す。そして宣言した。
「スペードの4」
バンカーに賭けていた者たちの勝ちだ。
うわぁーという歓声と、たぶらかしよったぁーという怒号が一斉に挙がった。
「バンカーウィン」
すかさず正朝の宣言の声が、スマートに響いた。
プレーヤーに賭けていた男たちのチップが無情に回収されていく。
回収する正朝は表情をまったく変えなかった。
ネズミ爺さんを含め、勝った男たちには、勝利のチップが配当された。
爺さんは目を細め、ますます口をすぼめて頬を紅潮させていた。
ゲームに使われたカードは廃棄される。次のカードはシューターから供給されるのだ。
正朝が告げた。
「残り3ゲームで、わたくし、次のディーラーと交代させていただきます」
ディーラーは神経を使う。カードをさばくにも集中力が必要だが、店側のいかさまを疑われないように、すべての仕草を流れるように華麗に無駄なく動く必要がある。
シューターにセットするカードは7デッキ。
それをシャッフルするのも、セットするのも、ディーラーの仕事だ。
客の賭ける目がバンカーかプレーヤーかに偏らないように、気を配ってゲームを進行させる。客の誰かが大勝ちすれば、店は莫大な負債を抱えることになる。店に利益をもたらしつつ、客も満足させる。すべての責任がディーラーの肩にかかってくる。
2時間。そのあたりがディーラーの交代時間として適当なのだ。
カジノフロアの隣にある控え室で、コーヒーを飲んでタバコでも吸って、高ぶった神経を休める。次の出番までの2時間ほどをそうして過ごすのだ。
正朝は、改めてシャトーの店内を見回した。
入口にはスロットマシンが3台並んでいる。だが誰もスロットマシンの前には座っていない。カジノの雰囲気をかもし出す飾りのようなものだ。
「この店でスロットをやるくらいなら、街のパチスロ店に行った方がマシばい」
と客の誰かが言っていた。
そうだ、シャトーに集まる客は機械を相手にしたいのではない。人間対人間の勝負に興じたいのだ。
ひときわ大きなルーレットのテーブルが見える。3人の客がチップを張っている。
昼番で顔を知らないディーラーが正朝とは目を合わせることもなく、ルーレットを廻し、球を投じていた。なんだか、たらたらとゲームを進行させている気がした。
ポーカーのテーブルはからっぽだった。ブラックジャックのテーブルも、1人の客しか
いない。ディーラー対1人の中年の女性客との戦いだろう。賭け金はそれほど多くない。
交代予定のディーラーは、髙野純平だった。シャトーで初めての昼番に就く正朝に、憧れのまなざしを向けた青年だ。
バカラのラスト3ゲームの1ゲーム目のカードを配していたときだった。
バーンッとカジノ店のドアが開いた。シャトーの入口には黒服が1人着いている。
入店客をチェックして、鍵をあけドアを開く。敵対する暴力団や警察が踏み込まないように警戒しているはずだった。黒服がドアを開けたということは、危険な人物ではない。
「あんた、なんばしちょるけんがっ」
太ったおばさんがいきなりバカラのテーブルに走り込んできた。
「またお金ば、無駄使いしてからに」
おばさんは、ニコジさんの耳をつまんだ。
「いててて、かあちゃん、ゆるしてくれんね」
「なんぼ、無駄に使おったか、こなくそ」
ニコジさんの奥さんだろう。バカラのテーブルについた客があ然とするなか、ニコジさんは、かみさんに耳をつままれたまま、店から連れ出されて行った。
ニコジさんが消えて、しばらくして、客から爆笑が起こった。
「おやっさん。形無しばい。わっはっはっは」
ネズミ爺さんも、口をすぼめて苦笑していた。