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6 プレイヤー側、バンカー側、それぞれが6点または7点を出している場合にも、ゲームは終了である。得点の高い方の勝利だ。
この条件に当てはまらない場合、プレーヤー側が2枚合計5点以下なら、3枚目のカードが配られる。このカードはカジノ店では裏返しにされる。
正朝は、いまこのプレーヤー側のカードを裏返しのままテーブル羅紗の上に配したのだ。
バカラは他のカードゲームのように自分でカードを引いてプレイするゲームではない。 そこがポーカーやブラックジャックとは異なる。カードを操るのは、ディラーのみだ。
もとはヨーロッパの貴族の遊びだった。自分たちでカードを引くことも、持つこともせずに、ただコインを投げるだけで賭け事が楽しめるとあって、ものぐさな貴族の間で盛んになったカードゲームだそうだ。
シューターと呼ばれるカード供給器からスルリとカードを抜き、テーブルに配る。
シャトーの店内は暖色系の照明が明るい。
客も、店のディーラーもいかさまをしないように、手元がはっきりと見えるようにと配慮してのことだ。
シューターからカードを1枚抜いてテーブルに配するのを「撒く」と呼ぶ。
正朝はカードを撒くときに、左手の中指を使っている。
人差し指では華麗ではない。薬指を添えると、カードを隠しているように見え「吊り」のいかさまをしているように疑われる。
吊りとはシューターの最前列のカードではなく、2枚目、3枚目のカードを抜き出すことだ。
いかさま専門店のカジノは、たて箱と呼ばれる。
たてを入れるとは吊りのようないかさまをすることを指す。
ちなみによこを入れるという隠語もある。客とディーラーが組んで、チップを横流しする。チップは現金に換金される。換金された現金からキャッシュバックをディーラーが受けとる。これがよこを入れるというやつだ。
正朝は、色々な店を渡り歩いてきた。たてを入れる店、よこを入れる客。そんな店は、すぐに辞めた。カジノは、ギャンブルは、たとえ違法であったとしても、筋道は立っていなければ、勝負に生きている実感はつかめない。
「ワンモア・バンカー」
正朝の長い中指の先が、裏がえしのままの6枚目のカードをすべらせていく。
テーブルの緑色の羅紗の上を、1枚のカードが男たちの運命を乗せてしなやかにすべっていった。
「タップオーナー。あなたの権利です」
すでにテーブルの上にはプレーヤー側の「3」と「2」のカードが並んでいた。
正朝がタップオーナーと呼んだ男は、60歳はもう過ぎているであろう白髪の男だった。
タップオーナーは一番多く賭け金を積んだ者だ。
しわの寄った手のひらが、秘されたカードに伸びる。白いYシャツと、グレーのスーツは吊るしの安物のなのだろう、ダブダフで痩せた体格に合っていない。胸元がだらしなく開いていた。その隙間になら小玉のカボチャくらいすっぽりと入りそうである。
それほど痩せていて、それほど猫背なのだ。眉間にしわを作り、唇をとがらせながらカードを自分の手元に引き寄せる仕草がネズミを思わせる。爺さんはバンカーに賭けている。
バンカーのタップオーナー。賭け金は10万円だった。
ネズミ爺さんが自分にだけ見えるように、カードの下縁をチラッと一瞬だけめくった。
そして目をつぶり、ほぉーと肩を沈めながら深いため息をもらした。途端に、
「どげんね」
「はよせんね。陽が沈むばい」
と、せっつくような男たちの質問がネズミ爺さんに浴びせられた。
「寒い。あぁ博多ん街は、早春の日は浅く、まだ寒かとですなぁー」
とネズミ爺さんはカードを伏せたままで、つぶやくように言った。
爺さんは、やおらじらすように、目の前のカードを自分に向けてめくり、ちらりと見てまた伏せた。唇をネズミのようにとがらせて腕組みをした。そして目を閉じる。
勝負の結果は、一番多くチップを賭けているネズミ爺さんだけがいまは知っている。
バカラは単純なゲームだ。ここで素早くカードを開いてしまえば勝負はすぐにつく。
ところが、アジアのカジノでは、この勝負がつく瞬間をじらす。最後のカードが勝てるカードなのか、負けるカードが配られたのか。タップオーナー。すなわち一番多額のチップを積んだ者が、じっくりと時間を掛けて結果を知り、他のメンバーの心理をジリジリとじらす。
タップオーナーになった者は、じれて興奮する連中を観て自分も興奮する。
ときに、いやよくあることだが、タップオーナー自身が自分をじらすことにも興奮は起きる。配られたカードをいっきに観てしまうのではなく、まずカードの端を観る。
端を覗いても、マークが何も見えなければAだ。
マークが1つ見えれば2か3だ。
反対側の端を覗く。しぼるようにゆっくりと覗く。
マークが左右に2つ見えれば4、5、6、7、8、9、10のどれかだ。
絵札が覗き見えたら、J、Q、Kと判断できる。
ネズミ爺さんは、カードの両端をしぼり見て、結果を察していた。
アジアのカジノでバカラが好まれるのは、このじらしのドキドキ感を楽しむ醍醐味にあるといっていいだろう。欧米ではしぼりによるじらしは、あまり行われていない。
しぼられたカードは変形する。
カジノではカードは消耗品で、一度ゲームに使われたものは廃棄される。
だから、皆んな、思い思いにカードをねじ曲げて、しぼるのだ。
目をつぶって腕組みしているネズミ爺さんは、ハァーとため息をついてうつむいた。