第三話 「一本桜」(89)

「くっ」
円朝は左腕一本で、文蔵の刃を受け止めた。鍔ぜり合いに持ち込まれた。
重い。文蔵の押し込み刀は重いのである。左腕に渾身の力をこめる。
だが意識はもうろうとする。円朝はジリジリと押し込まれた。
ザザーッ。
春の夜に突風が吹いた。しだれ桜の花をつけた枝が、文蔵の顔にしだれかかった。
「いまだっ」
鍔ぜり合いに文蔵が押し込む力を、円朝はふっと自分の方に力を抜いて外した。
「てぇいっ」
押し込んでいた文蔵は、袈裟懸けに刀を走らせた。
ところへ、円朝は左腕の武蔵国兼光を横なぎに走らせた。
花吹雪が、桜の花吹雪が夜闇に舞う。満月の光を受けて。
「手前ぇだけは」
円朝が薄れゆく意識のなかでつぶやいた。にやりと文蔵は笑った。
「ははは、しとめたぜ円朝……」
鮮血が飛び散った。桜の幹に血しぶきが飛んだ。
どさり。
倒れたのは文蔵だった。
「手前ぇだけは、許せねぇ」
刀身を横なぎに左手で構えたまま、円朝は言った。峰打ちではなかった。
武蔵国兼光は、文蔵を斬ったのだ。
「御用っ、御用だ、御用っ」
卯之吉の桜屋敷の玄関門が、どーんと開かれた。
「無事かーっ、円朝っ」
右手に提灯を掲げ、庭で叫んでいるのは牧野圭之介であった。
左腕は数日前の怪我で三角巾で吊したままだ。
「ここだ……、圭之介っ」
円朝は叫んだが、声はかすれている。その声を聞き逃さなかった圭之介は、しだれ桜の真下にがくりとひざをつく円朝のもとに駆けつけた。
「深傷だな。今度は俺が血止めをする番だ」
圭之介は、町奉行所の捕り手のひとりを呼びつけた。捕り手は、下手人捕縛の際に怪我を負った場合にそなえて、薬箱を持参している。圭之介は捕り手の男が円朝の右肩の怪我に包帯を巻くのをじっと見ていた。
「密告状が奉行所に投げ入れられてな」
「ほぅ、それで麻布くんだりまで繰り出して来たってぇわけか」
「麻布暗闇坂の一本桜の屋敷に文蔵一味が押し込む。と、それだけ書いてあったのだ」
「誰からの密告状だ」
「分からん、差出人は、老いぼれ鼠とだけ書いてあった」
「そうか、それじゃぁ、俺にも」
と円朝は肩に包帯を巻かれながら、にやりと笑った。
「俺にも、そいつが誰だか分からねぇな」
圭之介は、円朝に顔を近づけて言った。
「いったい、この屋敷の何を文蔵は狙ったのだ」
「文蔵の知り合いの盗人の隠居金が埋蔵されているのを堀り出そうとしたんだろうよ」
「何っ、盗人の埋蔵金だと。それはどこにあるのだ」
円朝は朱鞘に左手でしがみつき、身体を支えている。
「ここだよ」
円朝は朱鞘の先で、桜の根元をつついてみせた。
「ここに文蔵の手下が何かを探った跡の穴が空いている。埋蔵金は、この桜の樹の下だ」
「何っ、いったいいくら埋まっているのだ」
「おそらくは二万五千両……。その盗人の生涯の宝だ」
「うむ、さっそく掘り出すぞ……」
言うと圭之介は捕り手たちに向かって大声で招いた。