第三話 「一本桜」(83)

「この巾着袋だったのかい」
「へぃ、その通りで」
「何か仔細があるのかい」
「文蔵のお国許の水戸じゃ、この結城紬をこしらえておりやす。おそらくは文蔵一味なら、この結城紬の巾着袋を誰もが持たされているんでしょうよ。それが証拠にゃ」
「何だい」
「そのときの好造の巾着袋には、書き付けが入っていたんでさぁ」
「何て書いてあったんだい」
「二十日、申の刻、夕七ツ、品川宿、白多屋」
うーむと腕を組んでいた円朝だったが、
「読めた」
と小さくうなずいた。
「伝え文だ、儀右衛門さん。文蔵の一味は、その巾着袋のなかの紙片でお互いに伝えごとを交わすに違ぇねぇ」
「どういうことです、師匠」
「儀右衛門さんが箱根から江戸の下谷坂本町に連れて来られた十年前。文蔵一味はお千恵さんをさらって、東海道を盗人旅に出るところだったんだ。好造が持っていたのは、文蔵からの指図紙だったのかも知れねぇ。品川のどこの宿にいつ入るかの指図だ。文蔵一味は三々五々に東海道を京に上る途中で盗人を働いていやがった。おそらく京までの道のりで、どこで落ち合うかを巾着袋を交換し合うことで伝えていたんだ」
「なるほど、茶屋などですれ違いざまに、同じ巾着袋を交わし合うなら、人目にも巾着が入れ替わったなどと区別はつかねぇ。実際に言葉を交わすこともなく、お互いの伝えごとを知らせ合うことができますね」
円朝は昼間のことを思い出した。卯之吉老人の桜屋敷を訪ねたときのことだ。
あの佐之助と名乗った、偽岡っ引きの助造が置き忘れていった巾着袋だ。
そのなかの紙片に書かれていた言葉だ。
「麻布 暗闇坂 桜屋敷 主の名は井野屋卯之吉 宗助のたから」
それは筆跡から察せられた。
「宗助さんが道案内の地図を書いたものとばかり思いこんでいたが、いいや文字は宗助さんのものとは違う。あれは文蔵が助造に指示を出していたんだ」
「どういうことです、師匠」
円朝は昼間に卯之吉老人宅で結城紬の巾着袋を見た仔細を話した。その文面についても。
「“井野屋卯之吉 宗助のたから”ってぇのは、卯之吉さんが宗助さんにとって親しい宝のようなお人だという意味に読み取れるが、じつは違う」
「へぃ師匠」
「宗助さんの隠したおたからが、卯之吉さんの屋敷に隠されているはずだから、探りを入れて来いという文蔵からの指図だったんだ。この筆跡は文蔵のものに違ぇねぇ」
「師匠、つながりやしたね。文蔵の野郎は、宗助の頭目が十年前に久保田屋から奪った二万五千両をそっくりどこかに隠したとにらんでいやがった。麻布のどこかとまでは定めをつけていやがった。おそらく麻布近辺の寺、屋敷あたりをくまなく探ったに違ぇねぇ」
「そうだ。二年前までは卯之吉老人の桜屋敷は荒れ放題の空き家だった。宗助さんが、万に一つ、その荒れ屋敷に二万五千両を隠したとしたら。隠した後で、卯之吉さんが隠居所に住まいを始めちまったと分かったら。だから去年の夏に」
「へぃ、宗助の頭目は、隠し金が無事かを桜屋敷に確かめに訪ねた。あるいは、どのようにして、二万五千両もの金を密かに運びだそうかとお考えになっていたかも知れやせん」
「だが、文蔵も卯之吉老人の屋敷に目をつけた。助造を使って探りまで入れた」
「あっしには察しがつくんでございやすがね」
と儀右衛門は悲しげな顔つきになった。
「宗助の頭目のおたからは、その卯之吉さんのお屋敷の桜の樹の根元に眠っているんじゃねぇですかね。あっしには、そう思えるんで。妻籠宿のお弘さんの墓のそばにも、そりゃ見事な桜の樹がありやす」
「ああ、毎春の桜の季節になると、墓参りの旅に出ていたそうだな」
「へぃ、そうなんで」
円朝はあごに手を添えて考えていた。
「儀右衛門さん、俺に文蔵の悪行非道な盗人働きを止めてもらいたいとおっしゃったね」
「へぃ、まさかあっしが奉行所のお役人に直訴するわけにゃぁ参りません。そんなことをしたら、あっしがお縄をかけられちまう。井汲庵の治兵衛の旦那と番頭さんを救い出してくださったときの手際と身のこなし、円朝師匠は噺だけのお人じゃねぇ。それに、その床の間の刀剣、師匠は剣術も腕が立つと見込みやした」
「儀右衛門さん、こっちから文蔵の野郎に仕掛けてみるか」
「どうなさるんでございますか」
「ここにお千恵さんが置いていってくれた結城紬の巾着袋がある」
円朝は引き出しから奉書紙と筆、硯を取り出した。
それと一枚の紙片を取り出したのであった。
「ひょんなことから手に入れた偽岡っ引きの助造の筆跡がここにある」
それは助造が、無宿者の末松を文蔵の一味に引き入れたときに、仲間の印として渡した紙片であった。文末には八咫烏の花押が描かれている。円朝は筆を紙面に走らせた。
「子どもの時分に絵師の修業をしたことが、こんなところで役に立つとはな」
円朝は、助造の筆跡を真似て文字を書いた。
「麻布暗闇坂 卯之吉屋敷 一本桜の根元に宝あり 卯之吉の留守 弥生十五日夜」
文末には八咫烏の花押までしたためた。
したためられた文字と花押を眺めて儀右衛門は驚いた。