第三話 「一本桜」(80)

「小吉や好造は、もちろん儀右衛門だって、観音開きの宗助の心持ちを知っている。だから手伝ってくれたんだ。だが、にわかに雇った六人は今度の盗みは、金品財宝目当てのただの盗人としか思うめぇよ。俺は頬っかむりに顔を隠したが、儀右衛門どんはその六人を集めるときから顔を見られている。このまま江戸に居座っちゃぁ、にわか手下についた六人の誰かが、盗んだ分け前をもっと欲しさに、俺や儀右衛門を狙うかも知れねぇ。つまり地獄を背負ったのは俺だけじゃねぇ。儀右衛門どんにも地獄を背負わせちまった」
暗い海の上、舟に揺られながら儀右衛門は黙ってしまった。
「儀右衛門どん、江戸を離れてくれ」
そう言って、宗助は艪を儀右衛門から引ったくると、舟を越中島の岸辺に乗り上げた。
「五十両を渡す。越中島から先は深川の町だ。夜が明けたら江戸を離れてくれ」
「頭目は、どうなさるんで」
「俺も江戸を離れる。この二万五千両の始末をつけたらな」
言うなり、ギッと舟をまた江戸湾へと漕ぎ出したのだった。
「あっしは、宗助の頭目が真っ暗闇の海の沖へ一人で舟を漕いでいくのを眺めておりやした。それが観音開きの宗助こと、大工の伊平次との別れになったんでございます」
円朝はうーむとうなった。
「可愛い娘のお千恵さんにも別れを告げず。伊平次さんは江戸を離れた……のか。それが十三年の昔の出来事だったわけだね」
お千恵の顔が思い浮かんだ。
円朝は文蔵の隠れ百姓家からお千恵を救い出した。千住の宿場町の嘉納屋という平宿で、お千恵は自分の身の上を円朝に打ち明けた。育ての親、伊平次との別れも話をしてくれた。
惚れて押しかけ女房になった大工の久米吉とのたった三日の暮らしの後に、文蔵一味に連れ去られたいきさつもだ。
そうだ、お千恵が小吉と好造によって五寸釘の文蔵のもとへ連れて行かれたときに、
「伊平次さんは、下谷坂本町で病の床に伏せっていなすったそうだぜ」
円朝はお千恵から聞いた話を儀右衛門にぶつけてみた。
「十年前のことでござんすね。あっしも宗助の頭目を見舞っておりやす」
あっけなくも儀右衛門は答えたものである。
「あっしは三年の間は、東海道の箱根宿で、ええ関所の手前でございやすが、その箱根に住まいして寄せ木細工のからくり箱を作って、静かな暮らしをしておりやした。そこへふらりと現れたのが好造の野郎だったんで」
道中姿に、好造は儀右衛門宅にあがるつもりでわらじの紐をほどき始めた。
「儀右衛門のとっつぁん、ずいぶん探したぜ。箱根のこんなわびしい宿外れに隠れ住んでいなさるとはな。なぁ儀右衛門さん、三年前、宗助の頭目から千両くれぇは分け前をもらったのかい」
「馬鹿を言うんじゃねぇ、俺ぁ五十両しかいただいていねぇよ」
答えつつ、眉をしかめながら儀右衛門はわらじを脱ぐ好造のために手桶に水を汲んだ。
「ってことは二万五千両は、宗助が独り占めかい」
「おぅ好造、手前ぇいつからそんな盗人了見に染まっちまったんだい。宗助の頭目は、そんなお人じゃねぇ。三年前の久保田屋への忍び込みで奪った二万五千両は、おおかたまた海にでも捨てちまったに違ぇねぇんだ」
儀右衛門が汲んでくれた水桶に足を洗いながら好造が尋ねた。
「それを儀右衛門さんは、ご覧になったのかい」
「いや、見ちゃぁいねぇが……」
足をすすぎ終えた好造は儀右衛門の家へ上がり込み、寄せ木細工の細工卓に、ひじを掛けて言った。
「やはりな。文蔵の頭目のおっしゃる通りだ。宗助の野郎は手前ぇで独り占めしやがったのよ。おおかた隠居金としてな。知りてぇのはその隠居金の隠し処だぁな」
「待て、好造。いま文蔵の頭目と言ったか」
「ああ、いま俺たちは文蔵の頭目について盗み働きをしているんだ」
「あのときの水戸藩士、赤萩文四郎、盗人名は文蔵。そいつの下で手前ぇは働いているってぇのか」
「そうよ。江戸じゃぁやらねぇ。下総や上総、常陸や武州、上州あたりの商家を狙って忍び入っていらぁ。百両、百五十両のおたからしか手に入ぇらねぇが、そのうちに東海道を京に上る道中で、千両、二千両の大盗人を働いてみせると文蔵の頭目はいきまいておいでだ。文蔵の頭目はね、そこいらの盗人とは志が違うんでぃ」
儀右衛門は寄せ木細工の手を休めて、好造をにらみつけた。
「志だと、どう何が違うってぇんだ」
「この日の本のお国を荒しに来やがる異国人から守るための資金を集めるってんだ」
「水戸の尊皇攘夷か。俺も耳にしたことはある。だが盗人は盗人だ。ご法度まで犯して国を守るたぁ了見違ぇだ」
「儀右衛門のとっつぁんには分からねぇだろうよ。おおかたの者は、夷敵が迫ってきているというのに、のんびりと構えていやがる。年寄りはなおさらだ。だがな、若けぇ俺たちが立ち上がらなけりゃ、この国は異国人たちに乗っ取られちまうのよ」
儀右衛門は好造からは視線を外し、止めていた寄せ木細工作りの手をまた動かし始めた。
黙々と寄せ木細工作りに手を動かす儀右衛門の肩に好造がそっと手を置いた。
「なぁ儀右衛門さん、宗助の隠した隠居金の二万五千両がどこにあるのか。宗助の口を割らせるのを手伝っちゃくんめぇか」
儀右衛門は手を止めた。背中の好造を見上げた。
「宗助の頭目は……生きておいでなのかい」
「あぁ、生きているといえば生きているがな。何ぁに、くたばる寸前てぇところよ」
「どちらにおいでなのだい」
「妻籠宿に隠れ住んでいやがったところを小吉が見つけたんだ。口もろくにきけねぇところを小吉が昔に世話になったお礼に医者に診せますってぇんでよ。駕篭に乗せて木曽路を江戸まで運んで来たが、ありぁもういけねぇや。痩せて、顔なんざどす黒くってよ」
儀右衛門は、察した。恩返しに江戸まで運んだのではあるまい。
「やぃ好造。小吉の野郎は文蔵の言いつけで宗助の頭目を江戸まで運ばせたな」