第三話 「一本桜」(78)

だが儀右衛門と二人きりで、金品のすべてを盗み出すには人手が足りない。
「小吉を仲間に引き入れやしょう」
かつて神谷町の居酒屋で酒、肴を運んでいた小吉は、大工になりたいと儀右衛門の仕事を手伝うようになっていた。もちろん、忍びからくりのことは知らない。伊平次は神田界隈で仕事をするときに見習いとして好造という少年を使っていた。小吉も好造も大工の見習い小僧である。よもや盗人の仲間になるとは思っていない。それでもこれで四人の人手はそろった。儀右衛門は伊平次を頭目に据えて、仕掛けたからくり木戸をたやすく開けて、真夜中の西念寺から、二千両余りを盗み出したのであった。
「それが観音開きの宗助としての初仕事になりやした。宗助こと伊平次さんは二十二歳。あっしは二十歳のときで、小吉はまだ十四、好造は十五のがきでございやした」
「盗んだ二千両は、どうなすったんだぃ」
「へぇ、十両、十五両、ときに二十両と小分けにしやしてね。あちらのお助け小屋、こちらのお助け小屋と江戸市中に散らばるお助け小屋にそっと置いて廻りやした」
「それではたいそうな金が余るじゃねぇか。余った金はどうしたぃ」
「へっへっへっへ」
儀右衛門は小刻みに身体を揺らして笑った。
「まず財布を買い込みやしてね。財布に金を詰め込んで、山となった財布を舟に積み、芝の浜から海に漕ぎ出して、江戸の遠海にざぶん、ざぶんと放り込んで」
「捨てたってぇのかい」
「へぃ、ありったけの金を海に投げ込んで捨てちまったんでございやすよ」
「うーむ」
DSCF3989と円朝はうなった。
「いつだったか、芝の河岸で財布に四十二両を拾った魚屋がいたと聞いたことがあるが、そのときの金は、お前ぇさんたちが海に捨てたもんだったのかもしれねぇってことか」
「へい、円朝師匠が芝浜という噺をお演りになったときは、あっしは密かに客席でほくそ笑んで聴いておりやした」
芝浜は、円朝が作り上げた人情噺である。円朝は儀右衛門を前に腕組みをしてみせた。
西念寺はどうなったか。開徳は寺社奉行に訴え出たが、金品強奪の以前にそれだけの金品をどうやって貯めたのかを追求され、西念寺から追放となった。西念寺には旅の若い僧侶が入り、新しい住職となってそれから三十数年が過ぎたという。儀右衛門が話を続けた。
「江戸のあちらこちらのお店や屋敷には、あっしのからくり細工が仕込んでありやす。その気になりゃ、盗みに入るのはたやすいことです。しかしそうはしねぇ。いやさせねぇのが伊平次さん。つまりは観音開きの宗助の頭目でございます」
西念寺への盗みを働いた後、伊平次は木曽路を妻籠宿まで旅をしては、お弘の墓参りを済ませた。一周忌のつもりだったのか。春の桜の季節だった。
妻籠宿から帰った伊平次を待っていたのは、儀右衛門からの相談だった。
江戸では風邪が流行っていた。ところへ
「駒込の薬種問屋、伊村屋が買い占めを始めましたよ、伊平次さん。何でも風邪薬の葛根湯の材料の葛根、大棗、麻黄、甘草、桂枝、芍薬。それから大青竜湯とかいう薬の材料の杏仁や石膏なんぞをごっそりと蔵へ抱え込んだそうだ。市井の医者たちに薬を高値で売りつける。他の薬種問屋には在庫がない。どうしても薬代は高くつく。貧乏人は医者にもかかれずに、風邪をこじらせて死んでゆく人たちは跡を絶たない。どうしやしょう」
伊平次は、すぐに察した。儀右衛門に向かって、
「伊村屋の普請を受けたことがあるのかい」
と尋ねた。儀右衛門は首を縦に振りながら、
「忍び口のからくりは仕込んでありまさぁ」
と答えた。
「よし、やろう」
伊平次、儀右衛門、小吉、好造は駒込の薬種問屋、伊村屋に忍び入った。
「でも金子は盗み出しやせんでした」
儀右衛門のほくそ笑みに、円朝は尋ねた。
「どうしたんだい」
「伊村屋の金蔵から千二百両を運び込んだ先は、伊村屋の大きな広い仏間でさぁ。真夜中のこって、閉じてあった仏壇を開いて、仏壇のまん中へ観音様の木像を置きやした。その前に千二百両をうず高く積んで、ふふ、伊平次さんが筆でさらさらとしたためやしてね」
「何と書いたんだぇ」
「薬がなくて死んだ者たちの無念を観音様に詫びるがいい。薬をすぐに安く売れ。さもなくばこの次は、山と積んだこの千二百両、ごっそりすっかり戴きにまた参上する。宗助」
「なるほど、そのときに宗助と名乗ったのか」
「へぃ、まさか大工の伊平次と本名を名乗りゃ、すぐにお縄でさぁ。伊平次さんが、とっさに思いついた裏の名前が宗助。閉じてあった仏壇を開いて観音様を置いてきた。それに、しっかりと戸締まりしてあるお店や屋敷に、いとも簡単に忍び込むことから、観音開きの宗助の名が、ちょいと評判になったようでございますよ」
「すると儀右衛門さんも本名がありなさるね」
と円朝が聞いた。
「へぃ、ございますが、申し上げられません。もはや五十歳を過ぎた、この身の上ですから、からくり細工の儀右衛門、またの名を老いぼれ鼠と名乗っておきやしょう」
儀右衛門はまた両手をついて円朝に頭を下げた。
伊村屋が、抱え込んでいた薬種を安値で放出したのは翌日からのことであった。
だが、江戸の街の人々は、伊村屋で何が起きたのかは知るよしもなかった。
江戸のうわさ話にはねんごろな円朝も初めて聞く話だった。
「それが伊平次さんが二十三のときの大仕事だったでしょう。盗人に入って一文も盗らずに帰って来た。翌日からは日本橋田所町に住まいして、表稼業の大工仕事。誰も伊平次さんが、観音開きの宗助とは気がつかなかったでしょうよ。でもね、あっしや小吉、好造は、それこそ伊平次さんを棟梁と仰ぐようになった。一緒に伊平次さんの下で働くようになりやした。裏の顔の観音開きの宗助を頭目と仰ぐ心持ちもありやした。気っ風に惚れたってぇことでございやしょう。その年の夏ですよ。小網町の米問屋、久保田屋の隠居所の普請を請け負ったのは」
「お千恵さんが捨てられていたという久保田屋さんかぇ」
「そうでございやす。久保田屋の満作ご隠居から女の赤ん坊を預かった。お弘さんを亡くしてからというもの、ときおりふさぎ込むことがあった伊平次さんだが、赤ん坊を抱きながら、そりゃうれしそうでねぇ。俺に娘ができた。この子は俺の娘として育てるんだって。夏の暑い盛りに、いつも赤ん坊を抱いて、仕事に出るときは、長屋のおかみさんたちに声を掛けて、うちの子をよろしくって言ってねぇ。いつもにこにこと笑顔になった」
儀右衛門は懐かしい三十年前のことを昨日のことのように思い出して笑った。
「お千恵嬢が七つの祝いに振り袖を着たときは、あっしや小吉、好造まで長屋に招いて、祝いをしやした。小さな丸顔、大きな目、あごの下にほくろ。可愛かったなぁ」