第三話 「一本桜」(75)

何を探っていたのか。
「あの桜の根の下には何かがある」
そうつぶやいたときだった。
「さぁ蔵に入りねぇ……とは、ぞっとしやしたぜ」
寝間の闇につぶやく声がした。
円朝は布団からごろりと身体を転がすと床の間の刀掛けの朱鞘に手を伸ばした。
武蔵国兼光。円朝の家、出淵家に伝わる剣である。刀を手に抜くつもりだった。
「待っておくんなせぃ。円朝師匠とは馴染みのあっしでござんすよ」
円朝に背中を向け、忍び装束に身を包んだ男は、ゆっくりと振り向いた。
「へへ、老いぼれ鼠参上……」
男はさっと頭のかぶり布を外した。
鼠色の布の下から白髪まじりの髷が現れた。
「お前ぇさんは」
円朝は思いだした。文蔵が火を放った井汲庵。その内蔵から主の治兵衛と番頭を救い出そうとしたときに、どこからともなく現れて、内蔵の隠し木戸を壁を崩して開き、円朝と共に蔵のなかへ入ったのが、この男だ。治兵衛と番頭の命を救った男だ。
「先ほどの満川亭での噺を聴かせてもらいやした。あっしも麻布の寺やあちこちの屋敷を探っておりやしたが、なるほどあの幽霊屋敷みてぇな一本桜の枯れ屋敷だったとはねぇ」
「何のことでぃ」
「観音開きの宗助と異名を取った盗人の隠居金の隠しどころでさぁ」
「ん、いま宗助と言ったかぃ」
「ええ、表稼業は大工の伊平次。盗人稼業の名は観音開きの宗助。あっしらの頭目だったお方でさぁ」
「すると、一本桜の卯之吉老人の屋敷を訪ねていたのは、盗人の頭目だったのか」
「えっ、宗助の頭目は桜屋敷を訪ねていたんですかい」
老いぼれ鼠は卯之吉老人と宗助の仲については知らない様子だった。
「ああ、去年の夏のことだそうだ」
円朝はどこまで打ち明けたものか、思案した。
思い切って老いぼれ鼠にこう切り出した。
「お前ぇさん、名は何という」
「儀右衛門。からくり細工の儀右衛門と申します。師匠」
老いぼれ鼠こと儀右衛門は、
「何もかも打ち明けやしょう、円朝師匠」
そう言って、両手をついてあいさつをした。
「それというのも文蔵を、五寸釘の文蔵の悪行三昧を止めてぇからなんで」
覚悟を決めた儀右衛門の態度と見受けられた。
「文蔵と儀右衛門さん、知らねぇ仲じゃなさそうだな」
「へい、あっしは、伊平次棟梁のところで昼間は大工として働き、数年に一度、観音開きの宗助の手下として、盗みを働いておりやした。その宗助のもとで盗人の手ほどきを受けた若造が、いまの五寸釘の文蔵なんでございます」
儀右衛門が打ち明けた話は、三十年以上も前に遡る。
「観音開きの宗助は、はなっからの盗人じゃございやせん。表稼業の大工の伊平次として、まっとうな暮らしを送っていたんでさぁ」
若き日の伊平次には妻がいた。名をお弘という。西久保神谷町に住まいをしていた。伊平次は、二十歳になったばかり。儀右衛門は十八歳だった。二人とも大工である。伊平次も、儀右衛門も、神谷町に住まいして、赤坂、麻布あたり、飯倉ときに豊島の原宿村あたりまでの普請を請け負う大工だった。まだ若い衆を使うほどではなく、ひとり働きの安普請ばかり引き受けていた。後輩のひとり働きの大工たちと、仕事帰りの居酒屋などで集まっては、皆で酒を酌み交わし、料理に箸をつけ、
「そのうちに江戸のもっとまん中に住まいして、大店の普請なんぞを請け負って、そんときゃ、お前ぇたちにも仕事を廻す。だから貧乏暮らしもいまの我慢だぜ」
と伊平次は皆を励ました。儀右衛門などは、
「そうとなりゃ、伊平次さんが俺たちの棟梁だ。ついていくぜ、なぁ皆んな」
と安い肴の切干大根に箸をつけながら、一同を見廻すのだった。
「酒、肴を運んでいるのがまだ居酒屋の小僧見習いの小吉でした。あっしたち大工の仕事に憧れていやがりまして、隙を見せると、大工道具に触りやがる。愛嬌のある野郎でございやしたがね」
「ほぅ、小吉といえば文蔵一味の配下になっているな」
十年前に好造という大工仲間とお千恵を文蔵のもとにかどわかした男だ。
だが、そのことを儀右衛門は知るまい。
「師匠。まずは伊平次棟梁が盗人になったきっかけをお聞きいただきやしょう」
「うむ、何があったんだ」
「伊平次さんのおかみさん、お弘さんが病に倒れたんでさぁ。どっと患いの床に就いちまった。伊平次さんは、あちらの医者、こちらの医者と駆け回り、お弘さんの看病から、食事の世話までしなけりゃならい。あっしたちも力を貸したいが、仕事に追われても安賃金。身体は空かねぇし、かといって貸すだけの銭もなし。助けるに助けられなくてねぇ」
医者代にも困った伊平次は、金を借りた。麻布絶江坂の西念寺からだった。五両借りた。