第二話 「二人でひとり」(66)

話を聞いているのは、末松と捨吉だ。
「韋駄天の守蔵と異名をとった俺だがよぅ。このどじ足の伸兵衛と組んだのが運の尽きってぇやつよ。だがな、いくら早足が自慢の俺でもひとりじゃ駕篭は担げねぇ。後棒をしっかりと支えてくれる伸兵衛がいるからお客様を運んでいけるってぇものよ」
ねじり鉢巻きに半被姿。守蔵の早口はとどまるところを知らない。
「駕篭に乗る人、駕篭担ぐ人、そのまたわらじを作る人ってなぁ。世間てぇのは回り回って人様のお為めに働いてこそ、おあしをもらえるってぇもんよ。そのためにゃ相棒は大事にしなくちゃな。俺の相棒はこの伸兵衛だ。二人でやっと一人前の仕事ができらぁ。おぅ、末松っつぁん、お前ぇは先棒を担ぐんだろう」
「へぇ、へい、そういうことんなります。守蔵の兄ぃ」
末松も唐独楽屋の半被を着て、守蔵に返事をした。
「駕篭屋がえっほう、えっほうと掛け声を掛けるだろ。その意味は分かるかい」
「いえ、存じませんで、守蔵兄ぃ」
末松がていねいに守蔵に返事をする。守蔵はますます機嫌よく早口になる。
「ありゃぁよぅ、方々によけてくれ、駕篭が通るからってぇんで、ええ、方々と声を掛けたんだ。だが早足の駕篭のことよ。ええ方々なんてぇまどろっこしいことを口にしていた日にゃ、言葉が腐っちまわぁ。それで、えっ、ほうと声を掛けるんだ。先棒の末松っつぁんがまずは大声を出して、往来の人を避けなきゃならねぇぜ」
捨吉は、早口にまくしたてる守蔵を、他人ごとのようにぼんやりと眺めていた。
「おぅ、捨吉っつぁん、後棒を担ぐコツは伸兵衛の野郎に尋ねるがいいや。おぅ、伸兵衛っ、ぼやぼやしてねぇで、捨吉っつぁんに後棒のコツを教えてやんな」
守蔵と伸兵衛。末松と捨吉。二人でやっとひとり前の仕事ができる。それは本当だろう。
末松と捨吉を唐独楽屋に紹介したのは円朝であった。
昨晩、揚場町の駿河屋に押し込みを働いた文蔵一味から足抜けを手伝った円朝は、お美津のかけてくれた言葉に号泣を続ける末松とそれを眺めるうちに、じぶんもべそをかき始めた捨吉とに声を掛けたのだった。
「お前ぇさんたち、駕篭は担げるかい」
円朝の紹介だということで、唐独楽屋の女将、お多岐は二つ返事で末松と捨吉を引き受けた。それが今朝のことである。まだ焼け跡の掛け小屋ながら、唐独楽屋は繁昌している。
「いくらでも担ぎ手は欲しいところざんすよ。円朝師匠のご紹介なら、この唐独楽屋お多岐、お二人をお引き受けましょう」
江戸っ子らしく、気っ風良く返事をしたお多岐であった。
円朝は守蔵と伸兵衛に、末松たちを頼むと言って自宅へ帰っていった。
末松を初めて見た守蔵は、
「おぅ、手前ぇは、雨んなか傘ぁ抱えて走って行った濡れ鼠の兄ぃさんじゃねぇか」
と驚いた。結構な身なりをしていた男が、裸一貫で、駕篭屋に口入れされたのが腑に落ちないと思っていたものだが、
「よろしくお願い申します。守蔵の兄ぃ」
と末松が挨拶したものだから、途端に上機嫌になった。そこから守蔵の垂訓が始まった。
「あと二、三日して桜が開いたとなりゃぁ、花見客が帰り道に駕篭を拾ってくれるようにならぁ。そうさな、上野のお山か、大川端か、飛鳥山あたりまで足を伸ばしてもいいや。急ぐことも大事だが、酔ったお客様んときゃぁ、あんまり駕篭を揺らさねぇように気をつけるのもコツだぜ」
しゃべり続ける守蔵に、伸兵衛が言った。
「ねぇ、兄ぃ。この二人に説教もいいけれど、俺たちもそろそろ辻に稼ぎに出かけなきゃならねぇぜ」
伸兵衛なりの助け船だった。
そうでなければ守蔵は二人に延々と訓を垂れ続けたに違いない。
「うめぇこと二人で稼ぎなよ。そぃじゃあ俺たちはいくぜ。おぅ、伸兵衛っ」
「あいよっ、兄ぃ」
守蔵と伸兵衛のから駕篭は、唐独楽屋を出て行った。
円朝の家はだいぶに普請が進んだ。焼けた壁は新しくなり、今日は左官が朝から土塀を塗っている。玄関のあがりかまちに腰かけたのは同心、牧野圭之介であった。
「円朝、お前が文蔵一味は神田川を舟で逃げたと知らせてくれたので、捕り手たちを差配して神田川で網を張ったが、やつらめ、我々奉行所が川を捜索するのを察知してか、舟を水道橋で乗り捨てて、奪った金品は土手から陸路を運んだとみえる。一味の姿はひとりとして見つけられなかった」
圭之介は左腕を三角巾で吊るしている。昨夜の捕り物には馳せ参じなかった。
ただ奉行所の同僚から、ことの次第を聞いて、円朝が駿河屋の押し込みを働いた文蔵と剣を交えたことは知っている。
「文蔵って野郎。もしかしたら元は侍かも知れねぇ。俺と同じようにな。だが俺は刀を扇子に持ち替えて噺家になった。やつは盗賊になった。なぁ圭之介。文蔵一味が水道橋のあたりで姿をくらましたってぇのも合点がいく謎解きがある」
「何だ、円朝」
「文蔵たちが逃げ込んだのは、水戸様の上屋敷だ」
「ぬっ、何だと。どうしてそれが分かるのだ円朝」
「一味に引き入れられた男がいてな、そいつから聞いた」
「捨て置けぬ。円朝、その男に会わせろ」
「いま頃は駕篭を担いで江戸の町を走っていらぁ」
聞いて、圭之介は唐独楽屋に向かった。
ところが、末松と捨吉の行方は知れなかった。
大伝馬町近くの竜閑川の堀割に架かる今川橋に駕篭が捨てられていた。
末松と捨吉は、橋の上で駕篭をひっくり返し、乗せた客を竜閑川に落としてしまったのである。その様子を見ていた近くの絵双紙屋の手代の話では、二人は橋の上で足を滑らせて客を川に落としたらしい。落とされた四十がらみの男はかんかんに怒り、末松と捨吉は平謝りを続けたが、許してはもらえず、捨吉らしき男が泣き出し、末松らしき男が捨吉の背中を押して、駕篭を放り出したまま町のどこかへ駆け去ってしまったという。
唐独楽屋では末松と捨吉が帰って来るのを待っていた。女将のお多岐は、
「初めて客を乗せたんでしょう。それで意外の重たさに足を滑らせたんでございましょう。よくあることです。駕篭は無事に戻ってきたし、堀割に落とされたお客様の所在を突き止めて、丁重にお詫びの金子を届けましたし、あとは末松っつぁんと、捨吉っつぁんが戻ってくるのを待つだけです。これに懲りて、おかしな了見を持たなきゃいいんですがね」