第二話 「二人でひとり」(65)

奉行所の捕り手たちが、駿河屋に入り込んでくる。
「捨吉っ、このままじゃ俺たちも捕まっちまう。そのお人にしがみついていねぇで、離してやんなよ」
「やだいっ、そんなことをしたら、このお人は末松兄ぃを斬っちまうぜ」
円朝は、諭すように言った。
「捨吉さんとやら、離してくれ。俺の狙いは文蔵とその一味だけだ。お前ぇさんたちは、にわかに文蔵の一味に加えられたんだろう。斬らねぇよ。俺に文蔵たちを追わせてくれ」
捨吉は、ふっと円朝の身体を離して、末松と同じようにその場にへたり込んでしまった。「御用っ、御用だっ」
捕り手たちはこの奥の間にも迫っている。円朝はへたり込んでいる二人に声をかけた。
「俺は役人じゃぁねぇ。だからお前さんたちをお仕置き場に引き出すのは俺の仕事じゃねぇ」
末松は、へたり込んで震えている。捨吉はべそをかいている。
「こいつぁ、俺の勘ぐりだが、親孝行の兄さんに分不相な銭を渡したことが、兄さんを、こんなところへ引き込んじまったんじゃねぇのかい」
円朝は、眉をひそめて、つぶやいた。
「だとしたら、俺のとんだしくじりだ。しくじりの始末はつけなくっちゃいけねぇ」
円朝は、へたり込んでいる二人に声をかけた。
「さぁ、お前ぇさんたち。捕まりたくはねぇだろう。見たところ根っからの悪人てぇわけじゃなさそうだ。こっから逃げるとしようぜ。ついてきな」
円朝は、文蔵が逃げた駿河屋の裏木戸へ二人を連れて走った。
文蔵一味の姿はなかった。まだ暗がりの中庭である。円朝は末松に小声で諭した。
「親孝行の兄ぃさん、何だって盗人の一味になんぞ加わったんだい」
「へぃ、こ、これが、この紙があっしに妙な了見を起こさせちまったんです」
円朝は末松から紙片を受けとった。
「飯田町の小石川御門前、市兵衛河岸で明日の暮れ六ツ。助造」
末松が初めて、助造に出会ったときに受けとった紙片だ。
水戸屋敷に、通行手形のようにして、使った紙片だ。
「うむ、助造か。文蔵一味の一人だな」
「へぃ、岡っ引きの恰好をしておりました」
「うん、そいつなら俺も出っくわしたことがあらぁ。もっとも俺の足払いに、ひっくり返ったがな」
にやりと円朝は末松に笑いかけた。
「この八咫烏の花押が気になる。文蔵の一味の印なのかも知れねぇな」
と言って、円朝は末松が持っていた紙片を自分の懐にしまい込んだ。
「さぁ、その忍び装束を脱ぐんだ。盗人一味と思われねぇようにしねぇ」
円朝に言われて、末松と捨吉は裸に褌姿になった。
「師匠、ご無事だったかい」
暗がりから声をかけてきたのは伸兵衛だった。
「師匠のお言いつけで、守蔵の兄ぃは自身番へ走ったけれど、しばらくしてお役人がたくさん来ただろう。俺、怖くなってあわてて、店の皆さんと一緒に、裏木戸口へ逃げたんだ。盗人たちは捕まったのかい」
駿河屋に宿泊していた人々が群衆となって裏木戸の前に集まっていた。主人の平右衛門の姿もあった。円朝が寝室から逃がしたのだった。大番頭や小番頭は、宿泊していた親類、縁者の無事を提灯の明かりで確かめて廻っていた。皆んながお互いの無事を確かめ合っていた。そのなかにはお美津の姿もあった。
「あんれぇ、いつかのお客様じゃないかね」
お美津は裸に褌一丁の末松に声をかけた。
「盗人に着物でも盗られただかね」
末松は目を見張ってお美津の顔を見た。言葉は出なかった。ただ震えていた。
がたがたと震える末松の肩に、お美津は手を添えた。
「お父っつぁまは……見つかっただか」
途端に末松は、座り込むと、
「あぁーっ」
泣き崩れた。盗賊一味に加わっていた緊張から解き放たれたからか。
「あぅ、あぁー、わぁーっ」
それともお美津のやさしさに、心にためていた気持ちがあふれ出たからか、それは分からない。
「兄ぃ、どうしたんだい。ねぇ末松兄ぃ、泣かねぇでおくれよ。俺、兄ぃが言ったように、ずーっと黙っていたぜ。言いつけは守ったぜ。だから兄ぃ、どうか泣かないで」
おろおろと捨吉が末松の背中をさすりながら、自分もべそをかいていた。
翌日の朝五ツ。駕篭宿、唐独楽屋で守蔵は気炎を吐いていた。
「いいかぁ、腰を入れてな、こう担ぐんでぃ」
伸兵衛と一緒に、駕篭の担ぎ方を教えている。