第二話 「二人でひとり」(64)

刀を正眼に構え、文蔵と対峙しながら円朝はとぼけた口調で言った。末松は怖ろしさのあまりに、動顛していち早く匕首を抜いた。それを見た助造が末松の背中を押した。
「行けっ、その男を殺せっ」
押されて飛び出た末松は真っ直ぐに匕首を円朝に向かって突いた。
「むんっ」
体をかわした円朝に、隙ありと見てか、文蔵が撃ち込んで来た。
チャリーン。
袈裟斬りを狙った文蔵の剣を、円朝は刀で受けた。鍔ぜり合いに持ち込まれた。
「えーい、いまだ。俺がこの噺家風情を止めている間に、その匕首でこいつの腹をえぐってやれぃっ」
文蔵が末松に命じた。
「まずいっ」
と思った円朝は、鍔を押しやって文蔵をはねのけた。途端に末松の匕首が円朝に向かって突き出された。
チィーン。
円朝は末松の匕首の短い切っ先に一撃を加えた。末松は匕首を落としてしまった。その頭上に円朝が峰打ちを撃ち込もうとしたときだ。だっと闇のなかに人影が走った。
円朝は身体に衝撃を感じた。何だろうと思った。
「兄ぃは、兄ぃだけは斬らねぇでおくんなさい。お侍さん」
どこから現れたのか、小柄な男が円朝の身体に抱きついて来たのだった。
「離してくれ。斬りゃぁしねぇよ」
円朝は驚いた。誰に撃ち込まれても受けられるように刀を構えていたはずだ。体をかわす心構えもできていたはずだ。それなのに……。自分のどこに隙があったというのか。
それは無我夢中の捨吉の姿だった。
「お願いだぁ、兄ぃは、兄ぃだけは斬らないでおくんなよぅ」
男はべそをかいて泣き声になっていた。
子どもが抱きついたのかと思った。それほどに小柄な男だ。
「この男には、殺気がねぇ。だから俺は抱きつかれちまったんだ」
捨吉に抱きつかれて、身動きが重くなった円朝に、文蔵は、
「くらえっ」
またも袈裟斬りに刀を振るった。
キィーン。
捨吉にしがみつかれながらも、円朝は文蔵の撃ち込みを刀で払った。
「ははは、小僧。よくやった。そうして円朝にしがみついていろ。離すんじゃねぇぞ」
言いながら、文蔵の二撃めが円朝の頭上から襲う。腰に捨吉の羽交い締めをぶら下げながら、体勢を崩しつつ、文蔵の刀を弾いた。文蔵の撃ち込む剣は、速い。そして重い。
「ふん、これがとどめだ」
文蔵が胴斬りを狙って剣を振るった。
それは円朝ばかりか、捨吉もろともに斬り捨てようという一撃だった。
「危ねぇ、捨吉っ」
末松が床にへたりこんだまま声をあげた。
すんでのところで、円朝は胴斬りの文蔵の剣を受け止めた。
「だが、このままじゃ、いつか斬られる」
円朝が思ったときだった。
ピィーッ。
呼ぶ子の笛が屋敷の外から聞こえた。
途端に駿河屋の表玄関の木戸が打ち破られた音がした。
「御用だっ、御用っ、御用っ」
奉行所の捕り手たちが、いっせいに駿河屋になだれ込んで来た。
文蔵の後ろにひかえていた助造が言った。
「頭目っ、舟へ。さぁ早く。小吉が舟の支度をして待っておりやす」
「ちくしょうめ。野郎ども、いまあるおたからをまとめて舟へ急げ。引きあげだぁ」
文蔵の指図が駿河屋の屋敷内に響いた。
「逃がすかっ」
円朝は追おうとしたが、捨吉がしがみついた身体では思うように動けない。
「御用っ、御用っ」