第二話 「二人でひとり」(63)

「その通りだ。尊皇攘夷よ。異人は皆殺しだ。その戦のための資金を……」
文蔵は廊下を曲がり奥まったところにある大きな部屋の襖の前に立った。
「よくぞ、お渡しくださったねぇ。駿河屋の若旦那、いやもうすぐ……」
すたんっと襖を開いた。
「平次郎どんが、大旦那、駿河屋五代目平右衛門を継ぐのは決まったもんだ」
ぎらりと刀を構えた。大きな旦那部屋には、平次郎の父、四代目平右衛門が眠っている。
その隣に枕を並べているのは、内儀であろう。
「眠ったまま、地獄へ行きやがれっ」
文蔵は、打刀の切っ先を、眠っている平右衛門の胸元に突き刺した。
ズブリと刀が布団を突き刺す。ガシッとその刀が空で止められた。
「ぬっ、何っ」
刀は梶棒が受け止めていた。
布団から半身を起き上がらせていたのは平右衛門ではなく、円朝であった。
「親不孝にもほどがあらぁ、よりによってこんな盗賊の畜生に大事ぇじなお父っつぁんを殺させようとするなんてよぅ」
ググッと文蔵の刀が押し上げられたかと思うと、バシッと円朝の握る梶棒が文蔵の刀を払った。
「木戸が開いた音がしたんでな。それで廊下で聞き耳を立てた。若旦那と文蔵の話したこと、すべて聞いた」
文蔵の刀を払っておいて、間をあけ、立ち上がった円朝が梶棒を構える。
「この梶棒の持ち主が、すでに表木戸から外へ出て自身番へと知らせに走っていらぁ」
「頭目っ」
現れたのは助造である。
「手数の者、まだ半分のおたからしか、舟に積み込んでいませんぜ。だが邪魔が入ったとなりゃ、ここはひとまず引きあげやしょう」
騒ぎに、駿河屋の者たちが起きてきた。文蔵が言った。
「助造っ、野郎ども、斬り抜けだぁ。目の前に立つやつは皆んな斬り捨てろっ」
文蔵は、いきなり隣で自分のために行燈を掲げていてくれた平次郎を斬りつけた。
かすり傷を負わせるとは、約束にあったものの、その一撃は殺傷を狙っての勢いだ。
ぷんっとうなりをあげて、円朝の梶棒が飛んだ。梶棒は平次郎の足もとに飛んだ。平次郎は梶棒に足を打たれ仰向けざまに倒れてしまった。文蔵の平次郎への一撃は空を切った。
「くそっ、円朝。手前ぇどこまで、俺の邪魔をしやがる」
文蔵は円朝に斬りかかった。円朝は素手である。
円朝は手ぬぐいを懐から取り出した。文蔵の一撃の太刀をかわしておいて、寝間の花生けの水の中に手ぬぐいをつけた。文蔵が二の太刀を円朝に撃ち込んだ。
ぴしゃり。
音を立てて、円朝の手ぬぐいが文蔵の刀に巻き付いた。
円朝がぐいっと手ぬぐいを引き寄せる。文蔵は前のめりになりながらも刀を放さない。
「頭目の助太刀をしろぃっ」
助造が自分も匕首を抜きながら、駿河屋に残っていた手下たちに命じた。
廊下を走ってくる足音が聞こえた。
「小吉っ、手前ぇはおたからを舟に積み込むのを急げ。この噺家野郎は、俺が叩っ斬る」
と文蔵が凄んでみせた。
「むっ、小吉。すると十年前に三日女房のお千恵さんを文蔵のところに引き連れていったのは、この男か」
と円朝は小吉の顔を見た。背が低く、額が広く、手足の短い男だった。
小吉は文蔵の言いつけに従うべく、その場から姿を消した。
とそこへ、浪人武士が現れてぎらりと大刀を抜いた。円朝は手ぬぐいをぐいぐいと引きながら、文蔵との距離を縮めていく。その間合いに、斬り込んだのが浪人者であった。
円朝は、手ぬぐいをバッと離すと、撃ち込んで来た浪人の剣先をかわし、浪人のわき腹に拳を突いた。
「うぐっ」
くるりと浪人の背に円朝は体を廻した。背後から、浪人の握っていた刀を右手に奪った。
奪った刀で、浪人の正面に廻ると頭部を撃った。峰打ちである。
浪人はその場に倒れてしまった。
ばらばらっと文蔵の助太刀に一味の者たちが四、五人現れた。
駆けつけた一味のひとりで、円朝とばったりと目が合ったのは、末松であった。
「おぅ、親孝行の兄さんじゃねぇか。お前ぇも盗人一味に堕ちたか」