第二話 「二人でひとり」(45)

お助け小屋の番人から叱られるのは、いつも末松のほうだった。
年かさで、身体も大きく、手足も長い。
「でかいなりをして、小さい仲間を殴りつけるとは何ごとです」
細い竹の鞭で、びしびしっと身体を打たれながら末松は歯を食いしばっていた。捨吉は、末松が鞭で打たれるのを、ただおどおどとおびえて見守った。薄い布団に、寒い晩などは、
「捨吉、こっちへ来い。俺がだっこをして暖っためてやる」
肌身を寄せ合って、捨吉を暖めてくれるのも末松であった。
捨吉がただひとつ知っている人のぬくもりは、末松だけなのである。
捨吉が十歳のとき、追い出されるようにお助け小屋を出された。
お助け小屋が口入れしてくれたのは、小さな油商の悠徳屋だった。だがそこは捨吉が丁稚奉公にいられる場所ではなかった。文字を読み書きできず、そろばんの勘定もできぬ捨吉は悠徳屋にとってやっかい者でしかなかった。捨吉は、自分から悠徳屋を出た。
十一歳で、橋の下に寝たり、神社の境内で寝たり、寒い冬はどこかのお店の物置小屋に忍び込んで、藁の山に身を突っ込んで震えながら寝た。
食べ物は、居酒屋や一膳飯屋が店じまいに捨てる残飯をあさってむさぼるように食べた。
そんな日々が続いていたある冬の雪が降る日のこと、捨吉はいつものように残飯をあさろうとして、野良犬に吠えかかられた。ばかりか、すねに噛みつかれた。
泣くしかない捨吉だった。泣いていると、
「おぅ、捨てっ。捨吉じゃねぇか」
後ろから声をかけて来たのは、懐かしい末松だった。
末松は野良犬を追い払って、残飯を取ってきてくれた。
「こんなところで食うんじゃ、寒いだろう。俺のうちへ来るか」
「えっ、兄ぃ。家を持っておいでなのかい」
連れて来られたのが、神田川河岸沿い、柳原の土手の和泉橋の下の掘っ立て小屋だった。
それからもう八年ほどが過ぎた。鍋がぐつぐつと煮え立ってきた。
捨吉は、木っ端の火種を少し、掻き出して火を弱めた。炭も薪も使えない。炭や薪を買う金などない。あちらこちらから拾ってきた鉋くず、木くず、木片を燃やすのである。
「おぅ、捨吉っ。いま帰ぇったぜ」
その声に捨吉は顔を上げた。
「兄ぃ」
末松が笑って捨吉を見下ろしている。
「稼ぎのほうは、さっぱりだ。近頃は世間様に金が廻らなくなったものか、それとも孝徳もすたれちまったものか。親孝行にご褒美をくれるお客も、さっぱりいねぇや」
言いながら、末松は背中にしょった張り子の人形をおろした。
末松の商売は「親孝行」である。といって、本当の親孝行をしているわけではない。
竹細工に紙を貼った、老人の張り子人形を背負って町を歩く。
すれ違う人、出会う人、ときにお店のなかへ入っていって、
「親孝行でございます」
と口上を述べる。これで四文、八文、ときに十六文を支払ってくれる。
親孝行の徳に、江戸の市民は銭を払ったのである。物もらいのようだが、江戸市中には末松のような「親孝行」を生業にする者は少なくない。十六文あれば、かけ蕎麦が一杯食える。その日くらいはどうにかしのげるものである。だが二人はかけ蕎麦は食わない。
張り子の老人の人形を背からおろすのを捨吉は手伝いながら、
「俺たちのお父っつぁん、顔のあたりがすり切れてきたね。足も破けてきてらぁ。銭が貯まったら、新しい紙を買ってさ、修繕わなきゃね」
大事そうに張り子人形をおろす捨吉であった。
「何たって、俺たちのお父っつぁんだもん。稼ぎをさしてくれるんだもん。大事にしなきゃぁね」
本当の父親でもいたわるように、張り子人形を河原におろした。末松は背の人形が地に降ろされると、がくりと身体中の力を抜いて、へたり込むように座った。
「なぁに、あと五、六日もすりゃ桜の花がほころびらぁ。それから七日ほどは、神田、浅草、上野、根岸と花見客が江戸中から桜の下に集まらぁ。酒の勢いも手伝って、懐がゆるくならぁ。そんな花見客んなかへ入ぇっていって、親孝行でございと口上を述べりゃぁ、ときに大枚を支払ってくれる景気のいい客も増えるってもんよ。辛抱だぜ、捨吉」
末松は稼ぎの少ないことを、捨吉に、いや自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
捨吉も末松も着物には継ぎ布をあてた肩入れのぼろ着である。寒くもある。
「ねぇ兄ぃ、今夜の鍋にゃぁ、紅白のかまぼこが一切れっつだけど入ってんだぜ。俺ぁ白い方でいいから、兄ぃが赤い縁のあるかまぼこを食べなよ」
橋の下、川岸の掘っ立て小屋前に鍋が煮えている。
「捨吉っ、手前ぇそんな、がきみてぇなことをまだ考えてんのかぃ。そういやぁがきの頃は、白いかまぼこよりぁ、赤けぇかまぼこが食べられるのがうれしくてよ。大人んなっちまえば、白も赤も同んなじ味しかしねぇって分かるもんだがな。ははは」
末松は、子どものような心を持った捨吉をかわいいと思ったものか、そう言って笑った。
二人の夕餉が始まる。どこかで拾ってきた、欠け茶碗に鍋の具を装う。木の枝を削った箸で捨吉が、赤い縁取りのあるかまぼこを、末松の茶碗に放り込んでみせた。
柳原の土手の向こう岸には河岸がある。川幅は十五間とないから、対岸は見通せる。
夕暮れのことで、もう舟は一艘しか、もやっていなかった。
江戸湾から神田川を遡上して、常陸や上総や下総あたりで獲れた魚介類や、菜もの、薪炭や米などが陸揚げされる河岸だった。もう鮮魚や菜ものは陸揚げされる時刻ではない。
行李と小箱の荷が人足たちによって荷揚げされていく。