第二話 「二人でひとり」(44)

それでも捨吉は、うきうきしていた。鍋には、捨てられものとはいえ、紅色と白色のかまぼこが入っているのである。それだけで、贅沢に気分になれるのだった。
捨吉は無宿者であった。浮浪者である。
住まいはといえば、これも普請場で拾ってきた材木を貼り合わせ、すきま風の通るところは、ぼろ布で覆い。屋根は板葺きの上に重しとして大振りの岩を乗せただけ。掘っ立て小屋なのだった。それが神田川の岸辺の和泉橋の下に、吹く風にあおられながらも、かろうじて建っている。
捨吉は寒かった冬が去って、春が来たのがそれだけでうれしかった。
楽しみ鍋の具材を、木の枝を削った箸で突ついて煮え加減を確かめた。
「兄ぃ、遅せぇなぁ」
捨吉が待っているのは、兄の末松である。といっても本当の兄ではない。
捨吉と同様のみなしごあがりの年かさの男である。二人は、お助け小屋で育った。江戸には迷子が多い。捨吉が丹波篠山藩・青山下野守屋敷門前近く、神田須田町で泣きながら歩いていたのは三歳のときだったと聞かされた。果たして三歳だったのか四歳だったのか。それは自分でも分からない。夏のことで汚れた単衣に帯をしめず、はだしであったそうだ。
須田町の人たちは、自身番に届け出て、親を探した。一石橋の「満よひ子の志るべ」の石標柱に貼り紙もした。それでも親は見つからなかった。
須田町の茶問屋、志座寿屋が、その子を預かり育てると相談はまとまった。
名は季吉(すえきち)とつけられた。
ところが、幼い季吉は夜泣きはする。寝小便はする。何を食べさせても、おどおどとおびえるばかり。色白のぼんやりした顔に目ばかりはきょろきょろとさせている。
志座寿屋の誰にもなつかないのであった。
三歳ほどでは無理もないが、一つ、二つ、三つの数が覚えられない。
愚か子なのだと志座寿屋では誰もがあきらめた。
夕暮れ時に、ひょいと店の外へ出て、自分が迷子になっていた青山下野守屋敷門前近くをべそをかきながらはだしで歩いているところを、近所の人に連れ帰られることもあった。
何より志座寿屋の店じまいの時刻に、勘定が合わないことがあった。
三文、六文とわずかな金子ではあったが、足りないのである。
「あの子がお店の金を盗んだんじゃないか。手癖の悪い盗人小僧だ」
と店の奉公人に噂が広がった。
女将のお多津が、志座寿屋亭主の志野門三郎に言ったものだ。
「あんな子は、将来、うちで丁稚に使おうにも、そろばんもできなきゃ、文字だって覚えませんよ。それに金子を盗んでいるってぇ噂。いまは店のなかだけの噂ですけれど、そのうちに町内の噂にでもなれば志座寿屋ののれんに傷が付きます。あたしが近づくとぶるぶると震えておびえるばかりて可愛げがないったら、ありゃしない。うちに置いとくような子じゃありませんよ」
志野門三郎とお多津には七歳になる娘と五歳になる息子がいた。門三郎は季吉を、我が子と同じ部屋に住まわせて兄弟同様に育てようとしていたが、季吉はいつも兄弟の部屋から逃げ出しては廊下でしゃがみ込んで泣いているばかりだった。
どうしたものだろうと門三郎は思案した。夏も終わろうかという頃、新しい着物を季吉に着せてやろうと、はだかにして驚いた。身体中が傷とあざだらけなのである。
「誰がやったんだ。言いなさい」
門三郎は問い詰めたが、季吉は、
「転んだ。転んだ」
とべそをかくばかりだった。
「誰かをかばうために、嘘をついている」
と門三郎は直感した。
「お多津か、娘、息子が、この子をいたぶっているに違いない。無くなるという金子も、この子の仕業ではあるまい。我が子がこの子に罪をなすりつけているのだろうか。そうだとしたら、将来はうちの子が悪い了見持ちになるやもしれない。やはりこの子を手元に置いておくのは無理か」
お助け小屋は無宿者に、無償の炊き出し飯や惣菜を配るばかりではない。迷子の一時預かり場所も兼ねている。いや預かり場所とは表向きで、じつはそのお助け小屋で育つのが実情だった。そうしてやがて十歳を迎えれば、職人や商人の元へと預けるのだった。
志野門三郎は、いったんは季吉を自宅に預かったが、お助け小屋に戻すことにした。
「おじさんを、恨まねぇでおくんなよ。お前ぇは、このお助け小屋で、大きくなって、立派な大人んなって、世間に恩返しをするんだぜ」
門三郎は、皆んなのために、何よりこの子のために使ってくれと三両をつけて季吉をお助け小屋に預けた。三歳の季吉は、こうしてお助け小屋で寝泊まりをする身の上となった。
そんな幼い頃のことは、忘れてしまった。
ただ、お助け小屋で教えてくれる手習いの文字も、そろばんではじき出す勘定というものも、どうにも覚えられなかったことだけは心に残っている。それから、お助け小屋がまかなってくれる料理は少なく、いつも腹を減らしていたことも、小屋のすきま風が寒くて、泣きながら眠りに就いたことも。
心に残っているというより、それが世間というものだと今日まで思って生きてきた。
ただひとつの頼りは、
「兄ぃ、早く帰って来ねぇかなぁ」
末松ただ一人なのであった。
その末松も、お助け小屋で育った。季吉が志野門三郎に連れられてお助け小屋に来た時分には、末松は十数人いる小屋の子どもたちの頭目のようながき大将であった。
末松も自分の本当の歳は知らない。
体躯からして、季吉より三歳か四歳は年上だろうと察せられるだけだった。文字も覚えられぬ、そろばんもできぬ季吉は、とかく他の子どもたちにとって、かっこうのからかい相手だった。てこてことうつむいて歩く捨吉を背中から押して転ばせる。虫などをつかまえては、季吉の着物の後ろ襟に入れる。手をあげ、殴りかかる子もいた。
誰も季吉とは呼ばなかった。
自分たちも親に捨てられたか、はぐれたかでみなし児となっているにも関わらず、いやそうだからこそ余計に、ぼんやりとした愚か子の季吉がなされるがままにいじめられるのが、うっぷんの矛先となったのかもしれない。季吉は、いつも捨吉と呼ばれた。
季吉も自分の名は、捨吉なのだと思った。名など、どうでもよかった。
仲間から殴られても、ただこのときが早く過ぎてくれればいいと泣きながら耐えた。
そんなとき、末松はかけつけては、ただ泣くばかりの捨吉をかばうのだった。
捨吉をじゃけんにした子どもら四、五人を相手に取っ組み合いもしてくれた。