第一話 「三日女房」(38)

「奉行所からの捕り手たちを待っていたのでは機を逸する。撃って出るか」
「圭之介がそのつもりなら、俺ぁ付き合うぜ」
円朝が朱鞘の武蔵国兼光をぐっと握った。
圭之介が欅から飛び出した。
夜闇に乗じて、腰を低く構え、大八車に向かって走って行く。
圭之介は、いきなり大八車を引く男に突進して、
「その車、待った」
男の腕を、十手で叩きつけた。
「うぐわっ」
男は腕をたたき割られたものか、引いていた車の梶棒から手を放してしまった。大八車はぐわりと宙に浮くように、梶棒がせり上がり、台が後ろに傾いた。荷がこぼれそうになるところを後ろについていた男が支えようとした。その男の目の前にぎらりと刀が光った。
「井汲庵から奪ったおたからかぇ、兄さん」
男が刀の持ち主を見た。
濡れた黒羽織、紫の着物、朱色の襦袢をまとった円朝がにやりと笑って立っていた。
「ひっ、ひぇーっ」
刀を見た男は大八車の尻から手を放し、自分も尻もちをついた。
「何ごとだぁっ」
野太い声が響いた。
黒い忍び装束に身を包んだ、五寸釘の文蔵である。
「また手前ぇか、三遊亭円朝。俺が留守の間に手下どもを痛めつけてくれたのも手前ぇらしいな。女と娘をどこへ逃がしやがった。どこへ隠した」
この文蔵のうめきは、圭之介が円朝に問い掛けるきっかけになった。
「女と娘だと、何のことだ円朝」
円朝は右手に刀を下げ、文蔵に向かい、にやりと笑いながら、背中の圭之介に答えた。
「引き込み役の女と、その娘を俺が逃がした。この文蔵の野郎、娘を人質にとって、無理やりその女に引き込み役をさせていやがったんだ。仔細はあとだ、圭之介」
円朝の後ろに、圭之介が控えていることを、文蔵は目を細めて確かめた。
「ほぅ、八丁堀の犬畜生がご同行か。見たところ配下の者もいないようだな。のこのこと二匹でやって来やがったか。円朝っ、八丁堀っ、始末をつけてやるぜ」
ぎらりっと文蔵が刀を抜いた。ばらばらっと、文蔵の手下どもが、刀や匕首を手に七人ほどが円朝と圭之介を取り囲んだ。
「やっちまえ」
文蔵の掛け声に、手下どもが二人に襲いかかってきた。
「円朝、二人で切り抜けるぞっ」
言うが早いか、圭之介は自分に向かって上段から斬りかかってきた男の刀を十手で受け止めると、足払いをかけて男を組み倒した。転んだ男の頭部を十手で打ち付けた。
「ぐふぅっ」
男は気絶してしまったらしい。
「危ねぇ、圭之介っ」
どすっと音がした。圭之介が振り返った。
「ぐあぅ」
別の男が円朝に胸を峰打ちされ、刀を握ったまま倒れるところだった。
「この野郎、捕縛にしゃがみ込んだ圭之介を背中から斬りつけるところだったぜぃ」
「察していたさ、振り向きざまに十手を構えようとしたところだ。済まんな、円朝、お前の峰打ちの方が速かった。だが円朝」
立ち上がって圭之介が言った。
「円朝っ、情けの峰打ちは無用だ。手向かう奴は斬り捨てろ」
言って、圭之介は十手を帯にたばさみ、自らも大刀を抜いて構えた。
残りは五人、文蔵を入れて六人。
「圭之介っ、済まねぇが、俺ぁ人斬りは嫌れぇなんだ。俺の流儀でやらせてもらうぜ」
円朝はだっと地を蹴って、目の前で匕首を構えていた男の頭上を峰打ちした。
ひらりと濡れ羽織が夜の春風に舞った。どさりと声もあげず、撃たれた男は地に倒れた。
「どけっ、手前ぇたちの相手じゃねぇ」
ずいと前に出たのは文蔵である。ぎらりと大刀を抜いて、正眼に構えた。
と、その構えも定まらぬうちに、円朝に斬りかかってきた。
がしっと文蔵の袈裟懸け斬りの太刀を、円朝は武蔵国兼光で受けた。鍔ぜり合いである。 重い。刀の芯で押し返そうにも、じりじと文蔵は円朝に押し込んでくる。
「てやぁーっ」