第一話 「三日女房」(24)

男は倒れ込む。
「あぁあーん、あーん、あん、あん」
円朝の背中でお千佳が泣く。それには構わず、円朝はかたわらのお千恵に言った。
「お千恵さん、俺の背中から離れちゃいけねぇぜ」
けやきの樹を背にお千恵をかばい、お千佳をおんぶしながら円朝は子守歌を歌い始めた。
「♪ねーんねん、おころり、おころりよ。お千佳は良い子だ、ねんねしな」
「野郎、ふざけやがって」
また一人が斬りかかってきた。頬に傷のある男だ。ぶんっ、と袈裟斬りに円朝を襲う。
すいっと体をかわして円朝は、右手の刀の切っ先を頬傷の男に向けて歌い続けていた。
「♪お千佳の、お守りは、どこへ行った。あの山、越えて里へ行った」
泣きじゃくっていたお千佳が泣き止んで、甘えるように円朝の背中に顔をうずめた。
「この野郎。なめやがって」
円朝に切っ先を突きつけられてすくんでいた頬傷の男が飛び込んできた。
円朝を狙ったむ剣が夜闇に光った。突き出された刃を、円朝は右腕の刀で振り払った。
「くそっ、二人でかかれ」
刀を弾かれて頬傷の男が仲間に声をかけた。
応じたもう一人が正眼に構え、いきなり円朝に斬りつけた。市松模様の派手な着物を着ている。
刀を弾かれた頬傷の男も、同時にかかった。右から頬傷男が円朝の頭部を狙った白刃が襲ってくる。左からは市松模様の男が円朝の胴を斬りつけて白刃が襲ってくる。
ちぃーんっ。
右からの上段の刃を撃ちはらいながら、すいっと円朝は右へ体をかわす。
ぶんっ。
円朝の胴斬りを狙っていた左からの兇刃は空を切った。
撃ちはらった剣を頭上からくるりと回転させて、円朝は頬傷男の頭上を撃った。
「ぐふへっ」
頬傷男は、白目を剥いてけやきの根元に身体を倒した。
「♪里のみやげに、何もろた」
市松模様の男が空を切った自分の刀の勢いによろけた。背中を、円朝の返す刀が撃った。
「どぅえっ」
市松模様の男もまたけやきの根元に倒れた。
「♪でんでん太鼓に、笙の笛」
歌いながら、円朝は右手の刀を下段に構え直した。
お千佳は円朝の背中に顔をうずめて、円朝にしがみついている。
その後ろにお千恵が、おぶわれた我が娘を見つめながら立っている。
円朝が下段に構えたわけは、目の前に現れた男にあった。侍である。
「先生っ、追いつきなすったね。もう四人、この野郎に斬られてるんでさぁ。こっちぁもう俺一人しか残っていねぇ。でも、先生が駆けつけてくんなさったなら百人力でさぁ」
侍はすりっと鞘から刀を抜いて正眼に構えた。
円朝は、右手に下段の構えで侍の目を見つめている。
侍がじりじりと間合いをつま先で詰めてくる。
「おぬしの太刀すじ、この森の奥から見せてもらった。ただの町人ではないな」
侍が目を細めながら言った。
「いやぁ、俺ぁただの町人さ」
円朝が答えた。侍が言った。
「斬るのは惜しい男だ。あの世へ行ってもらう前に名を残していったらどうだ」
「どうやら、こちらが名乗らねぇと、そちらさんもお名乗りいただけねぇようだ」
会話を仕掛けながら、じりっと前へ間合いを詰める侍に円朝は勘づいて、やはり半歩ほど後ろに下がった。だが後ろにはお千恵がいる。その背後はけやきの幹だ。
「出淵次郎吉、いや、三遊亭円朝と名乗っておきやしょう」
「何、円朝だと。噺家の三遊亭円朝か。まさか、これほどの剣の遣い手とは」
「さぁ、おさむれぇ様、次はお前ぇさんが名乗る番でさぁ」
「ふんっ、生き残る拙者が名乗るには及ばぬわっ」
侍は円朝の肩を狙って、袈裟懸けに斬りつけた。