第一話 「三日女房」(25)

円朝の見切りが早かった。右手の刀で兇刃を受け止めた。
侍の刀は、円朝の鍔にとらえられた。
しゅりんっ。
円朝は右から左へ、鍔を押し、侍の刀をすべり流した。
勢い余って、侍の体勢が崩れた。その瞬間だ。
しゅんっ。
円朝は侍の小手を撃った。
びきっ。と音がして、侍の腕が折れた。侍は刀を落としてしまった。
「あわ、あわわわ、先生っ」
盗賊の下っ端の男が、侍が倒れたのを見て、逃げようとした。
たたっ。円朝は素早く追った。
どすっ。
円朝は男の胴を刀で撃った。
「うぐぅ」
男は森の中に倒れこんだ。
「♪芝のおりごの、しずがやに、おきなとおうなが、住まいけり」
円朝はお千佳への子守歌を歌いながら、お千恵の元に歩み寄った。
「斬り殺してしまったんですか」
お千恵が目を大きく開いて震えながら円朝に尋ねた。
「いや、なに、峰打ちよ。気絶しているだけだよ。お千佳ちゃんだけじゃなくて、こいつらにも、おねんねしてもらわなきゃならねぇと思ってね」
円朝は鞘を拾い上げると、すーっと刀を鞘に納めた。
春浅い、冷たい夜風が森の中を吹き抜けていった。
「しっ、師匠。相変わらず、お強ぇねぇ。身震いがしましたぜ」
夜の森の暗がりの奥から、すっと姿を現したのは守蔵であった。
「納屋の裏手の小道に落ちていた守蔵兄ぃの梶棒は、俺が拾っておきましたぜ」
守蔵の陰から、伸兵衛も梶棒を手に姿を現した。
「守蔵さん、伸兵衛さん、すまねぇがこのお千恵さんとお千佳ちゃんを駕篭へ乗せちゃあくれめえか。ここは危ねぇ。あとどれだけの盗人どもが潜んでいるか分からねぇ」
「そうおっしゃると思って、駕篭はこの森の入口に、もう運んできてありまさぁ」
守蔵が、とんと胸を叩いた。円朝が告げた。
「俺ぁ、お二人と一緒に駆けることにするぜ。この母娘を千住の宿場町まで頼む」
「がってんだぃ。おぅ、伸兵衛。千住の宿までつっ走るぜぃ」
お千恵は、お千佳を抱いて、駕篭に乗り込んだ。
「えっほぅ、えっほぅ……」
声をあげる伸兵衛を振り返って、守蔵が小声で叱った。
「馬鹿野郎。この百姓家から遠ざかるまでは、掛け声なんざぁ、出すんじゃねぇ」
静かに走り始める駕篭には円朝が並んで駆け出した。
森前を抜け、百姓家の庭先を抜け、千住の田畑が広がる道に出る。
「よぅし、伸兵衛。掛け声をあげろぃ。えっほぅ、えっほぅ、えっほぅ」
守蔵が上機嫌で先棒を引っ張って駆けてゆく。円朝は駕籠の脇を走りながらも、
「付けてくる者はいないか」
後ろからの気配に気を配った。どうやら、あとを付けてくる者の気配はない。
春浅い夜空は見上げても、かすみにさえぎられてか朧月だけがかすかな明かりを地上に注いでいる。星々は、またたきも見えなかった。
守蔵は、いったん駕籠を停めて提灯に火を入れた。
千住の街道が、ぽっと明るくなった。暗闇道の遠くに、町明かりがはるかに臨める。
「師匠、あれが千住の宿の明かりでさぁ。浅草吉原も不夜城と呼ばれやすが、千住の宿場も、飯盛り女の商売で夜通しに明かりを点けているんでさぁ。さぁ、伸兵衛っ、駕篭をあげろぃ。あの宿場町まで、しっかりと手前ぇの足に仕事をさせやがれっ」
梶棒を支えに、守蔵が駕篭を持ち上げた。
「えっほぅ、えっほぅ、えっほぅ」
子の刻、夜九ツを過ぎていたろう。円朝は旅籠を探した。
飯盛女を置く飯盛旅籠と、飯盛女を置かない平旅籠がある。飯盛旅籠は、遊女による遊興が主な目的だ。円朝は、平旅籠を探した。
かなふ屋の看板を見つけた。小ぶりな平旅籠で、行燈看板に明かりが点いている。