第一話 「三日女房」(15)

速さをゆるめながら、守蔵が駕篭のなかにいる円朝に尋ねた。
「しっ……、提灯の明かりを消しておくんな」
察しが早い守蔵は、提灯を開くと、蝋燭の炎に息を吹きかけ消した。
「来るぜっ、六人、いや七人か……」
小声で円朝が守蔵に告げた。駕篭はすっかりと止まった。
たれをあげて、円朝は駕篭から往来に出てしゃがみ込んだ。
「伸兵衛さんも、暗がりに隠れておくんな」
気が効かない伸兵衛だが、円朝に言われてとろとろと往来の大店の軒下に歩いた。
月明かりの陰になる場所だった。駕籠の脇にしゃがんだまま円朝がつぶやいた。
「守蔵さん、見えるかい」
「へぇ、あっしは夜目が利くんでさぁ。たしかに七人。往来を渡って裏町へと走っていきまさぁ。やつら髷を頬っかむりで隠してやがる。着物も夜目に目立たねぇ、紺や濃鼠で柄もねぇ。盗人に入るに違ぇねぇとあっしは見ました」
「うむ、裏道へ入って小柳町か平木町、あるいは三島町のあたりだろう」
「へぇ、三島町には呉服問屋の柏屋がありまさぁ」
「春の商いが済んで、夏物を仕入れる元手の金が貯まっている時分だな」
円朝は昨日の昼に、同心、牧野圭之介から神田富山町の呉服商、大和屋が夜盗に襲われ、千二百両を奪われたと聞いたばかりだ。三島町は富山町の隣町だ。
「守蔵さん、梶棒を貸しちゃあくれねぇか」
「しっ、師匠。まさか……」
守蔵が差し出す梶棒を受けとって、
「そのまさかで済まねぇな。そこで待っていておくんねぇ」
闇の町に走り出した円朝であった。
「そうはいかねぇや。どこが襲われるのか分からねぇけれど、大店のなかはおそらく真っ暗闇だぁ。あっしの駕篭提灯の明かりが役に立ちますぜぃ」
火打ち石を取り出すと、火縄に火を移し、いつでも提灯を点灯できるようにして、円朝のあとを追って駆け出す守蔵だった。
「おぅ、伸兵衛。神田鍋町界隈で夜盗だ。自身番に知らせに走れっ。俺ぁ、円朝師匠の手助けに駆けつけるからな。急げよっ」
伸兵衛は、はっとあわてて、
「自身番はどっちだっけ」
それでも日本橋の方角に向かって走り出した。
勘はあたった。
神田三島町の呉服問屋、柏屋の裏木戸から夜盗一味が次々と押し入っていくのが見えた。
「師匠、ここで待ちやしょう。金を奪って出てきたところを俺たちが……」
と守蔵が言ったときだった。
「ぎゃぁー」「ぐわぁー」
柏屋の内側から絶叫が聞こえた。
「いけねぇ、ただ金を盗んむ夜盗じゃねぇ。あいつらは人をあやめていやがる」
円朝は梶棒を手に、柏屋に突入していった。守蔵も円朝のあとを追った。
案の定、屋敷のなかはまっ暗闇である。
守蔵は手にした火縄の火種を駕篭提灯の蝋燭に移した。ほうっと提灯が灯った。
守蔵の目に飛び込んできたのは、白目を剥いて土間に転がっている寝間着姿の男の顔だった。守蔵は腰を抜かしそうになった。
「ひっ、ひぇーっ」
死体である。柏屋の奉公人であろう。
提灯の明かりは、肩から腰まで斬られた男の死体を照らし出したのであった。
「誰だっ」
野太い声がした。ギラリと兇刃を抜き、威圧しているのは盗人の頭目らしき男である。
「もう駄目だ」
と守蔵が思ったとき、駕篭提灯の明かりは、盗人の頭目の前に立ちはだかる人影を照らした。三遊亭円朝であった。守蔵から借りた樫の木の梶棒を構え、男の動きを停めている。
「何だって、刀なんざ振り回すんでぃ。金を盗んで逃げるだけで申し分はねぇだろうに」
円朝が言った。
「置き金のありかをしゃべらせようとしたまでよ。ふん、手文庫のなかにゃぁ三十両しか入っていやがらねぇ。柏屋ともなれば千両は越す金が隠してあるだろうによ」
頭目らしき男は頭巾をかぶり、口元には手ぬぐいを当てている。人相を隠すためだろう。
「その三十両じゃ、気に入らねぇってんで、斬り殺したのかい」
「ふん、刀で脅せば金のありかを白状する奉公人はまだ何人でもいる。一人を斬ったからって、どうってことぁねぇ。それより手前ぇは誰だ」