第二話 「二人でひとり」(52)

「目の気迫で分かったよ。獲物を狙う鷹のような目をしていなさった。そりゃぁ盗人の目ってやつだ」
そして末松に顔を近づけた。
「お前ぇさんひとりじゃ、駿河屋に忍び込むのは難儀だろうぜ。それに運び出せるおたからもたかが知れてらぁ。せいぜいが百両ってぇところだろよ。駿河屋はな、もう知っているだろうが、密かにご禁制の南蛮物を薩摩から舟で運んできて預かってるそうじゃねぇか。そいつを麻布の薩摩屋敷にこっそり運んじゃ、酔狂な旗本あたりを薩摩屋敷に集めては法外な値で売りつけて、薩摩と一緒にたんまりと儲けているってぇことだ。金は駿河屋にうなりをあげて眠ってらぁ。なぁ」
岡っ引き姿の男は、末松の肩をぽんと叩いて、
「俺たちも駿河屋に目をつけて、冬場から押し込みの支度を続けていたんだ。お前ぇさんとお仲間の盗人よ。俺ぁ、助造ってぇんだ。お前ぇさん名前ぇは」
「す、末松」
名乗ってから末松はしまったと思った。助造は本名ではあるまい。
末松も偽の名を名乗れば良かったのだ。
「そうか末松っつぁん。俺たちの頭目の名を明かすわけにゃあいかねぇが、大した器量のお人よぅ。仲間に入ぇらねぇか。じつはな、俺たちはちょいとした邪魔立てが入って、仲間の手数が足りなくなったところなんだ。あと四、五人は集めなくちゃならねぇ。数千両は運び出す手はずだからな。人手は欲しいのよ。お前ぇさんはひとり盗人かい。お仲間はいなさらねぇのかい」
ぐっと鼻に黒子の顔を突き出されて、末松は気圧された。思わず、
「弟分がひとりおりやす」
と答えてしまった。
「腕の方は確かかい。うん、そんなら人手に加えてもらおうじゃねぇか。いいかい頭目のお指図がある日まで、ひとりで駿河屋に盗みに入ってもらっちゃ困るぜ。なぁに」
助造は立ち上がると、十手を帯からぬっと引き抜いて、
「そう長い先のことにゃなるめぇよ。支度は調っていらぁ」
その十手で末松の頬をひたひたとなでつけながら、
「伝え触れは、この紙に書いてやる。他人に見せたらいけねぇぜ」
言いながら助造は矢立と懐紙を取り出して、何ごとかをしたためた。
「いいかい、この紙が仲間になった印なんだ。無くしちゃいけねぇぜ。それから俺の指図なしに、その弟分さんの他に、もっと仲間を増やそうとして明かしちゃならねぇぜ。俺は末松さんを盗人仲間と見込んだから、こうして声をかけたんだ。それじゃあまたな」
助造は十手を末松の頬から離すと、ぐっと腰をかがめて、本物の岡っ引きのように揚場町の路地を曲がって姿を消した。
「はぁ、あ、あぁーっ」
と声にならない声をもらして、末松は天水桶のかげにへたり込んだ。
「えれぇことになっちまった」
と思う。その反対に、
「これで駿河屋の若旦那の鼻を明かしてやれる。金もびっくりするくらい手に入れられるかもしれない」
という心持ちも沸いてきた。末松はおそるおそる紙片を開いた。
「飯田町の小石川御門前、市兵衛河岸で明日の暮れ六ツ。助造」
と書いてあった。文末には、八咫烏の花押のような印が書き込まれている。
何かの合図か。それは分からない。末松は紙片を懐にしまい込んだ。
末松は立ち上がると、駆けてきた神田川の土手沿いにとぼとぼと柳原に向かって歩き出した。明け六ツ半の鐘が耳に響いた。
朝五ツ過ぎに、末松は柳原土手の和泉橋下の掘っ立て小屋に戻った。
「兄ぃ、昨日から今朝までどこへ行っていたんだい。俺ぁ心細くなって、日本橋の方まで捜しに歩いたんだぜ。でもね、日本橋の河岸で金目鯛の頭と蛤を拾ったんだ。腐っちまうと腹を壊すから、鍋で煮付けておいたぜ。おまんまはないけれど、鯛の頭と蛤の煮付けを兄ぃ、お食べよ」
末松は何も食べていないことに気がついた。
昨日の昼に花房屋でお美津を見かけたときから、夜に吉原に向かい、今朝、駿河屋で助造に声をかけられ、柳原に戻ってくるまでまったく何も食べていなかった。
捨吉が差し出した欠けた椀をひったくるように受けとると、金目鯛の頭と蛤の煮付けにかぶりついた。それでも空腹は満たされなかった。末松は思い出した。懐に金があるのだ。
その人が円朝とは知らず、円朝からもらった一分金が帯の巾着に入っている。
末松は捨吉に、
「待っていろ、お前ぇに腹一杯食わせてやるから」
言うと、噂に名高い日本橋魚河岸に店を構える弁松に走って行った。
江戸で初めて経木の折り詰め弁当を売り出した店である。
もともとは文化七(1810)年に始まった料理屋だったが、気の短い江戸っ子のなかでも、さらに仕事に忙しくて気が短い河岸の仕事衆は、せっかく出された料理に箸をつける間もなく店を立って行ってしまう。
そこで残った料理を竹の皮に包んで持たせたところ評判をとった。
嘉永三(1850)年には三代目の樋口松次郎が料理屋をたたみ、経木折り詰めの弁当専門店に改めた。弁当屋の松次郎を略して「弁松」と呼ばれるようになったのである。
店の者は末松のみすぼらしい身なりを見ても笑顔で応じてくれた。
二朱金が三枚、つまりおつりに六朱と四文銭がやたらとじゃらじゃらと残った。
DSCF0103末松は柳原まで走って帰ると、弁松の豪勢な弁当を捨吉に渡した。
「あっ、兄ぃ。良いのかい、こんな立派なおまんま」
「おぅ昨日、一分もの大枚を払ってくれた旦那がいてな。だから銭じゃねぇ。金があんのよ。捨吉、遠慮せず食え。美味ぇぞぅ」
言ったものの末松も、評判の弁松の弁当を食べるのは初めてだった。
鮪だろうか、魚の照り焼きが入っている。口に運ぶ。美味い。