第一話 「三日女房」(34)

十手持ちは岡っ引きらしく、高価な金品を運搬する井汲庵の護衛についていると見えた。
十手は与力、同心が持つことを許された捕具である。
岡っ引きとも目明かしとも御用聞きとも呼ばれる同心の雇われ者は持たない。
が、ときにご威光をかざすために自前で持つことがある。
井汲庵店主の治兵衛は円朝の顔なじみでもある。番頭の顔も知っている。近所のよしみというわけだ。円朝は歩をゆるめ、治兵衛の姿を探した。火事見舞いを述べるとともに、我が家の次第を尋ねようと思ってのことだ。が治兵衛らしい姿は大八車の行列に、見当たらない。どころか、茶人の風情を表す十徳を着て、利休帽をかむったいかにも茶道具屋主人といういでたちの男が、うつむいて急ぎ足に大八車の車列に並んで先を急いでいる。
「さぁ、旦那様っ。足もとにお気をつけなすって。おぅっ、どけどけ。道をあけろぃっ」
岡っ引きが、そう声をかけた。
「むっ……」
円朝は気がついた。
治兵衛ではない。誰かが身を偽っている。そもそも治兵衛より肩ががっしりといかつい。「その大八車、待った」
円朝が行列に向かって声をかけた。
「何でぃ、手前ぇ、この十手が見えねぇか。いちゃもんをつけやがると、しょっ引くぞ」
円朝は確信した。
「この岡っ引きは偽者だ」
十手を差し出し、声高に円朝を威嚇した岡っ引きに、足払いをくらわせた。
「うわっ」
岡っ引きは、もんどりうって地に倒れた。
円朝は足払いをかけるときに岡っ引きの右手をつかんでねじった。岡っ引きは手首をねじられて、握っていた十手を離した。落としかけた十手を、円朝は左手で受け取った。
「木の十手を鉄(くろがね)色に塗ってありやがる。芝居道具の十手みてぇだな」
にやりと円朝は地に伏している岡っ引きに言った。
「手前ぇも、真(まこと)の岡っ引きじゃぁねぇだろう。芝居小屋から雇われでもしたか。それとも……」
円朝が十徳を着た茶人に向かって凄んでみせた。
「盗人野郎っ、五寸釘の文蔵一味の手下かいっ」
途端にばらばらっと大八車を引いていた連中が、円朝を囲んだ。円陣の後ろに控えて、茶人がずいっと顔をあげた。利休帽で頭部を隠しうつむいていたのは文蔵だった。
「なぜ見抜いた」
文蔵が険しい目つきで言い放った。
「俺が噺家だからよ。噺家は市井の人々の所作を高座で演らなくちゃいけねぇ。岡っ引き、目明かしの歩き方も俺たち噺家は、普段からよーっく眺めているんだ。真の目明かしなら、十手を真っ直ぐに相手に向けたりゃしねぇ。それに足払いや体当たりをくらわされても、ましてや刀を向けられても、すぐにかわせるように腰から下はしっかり踏ん張って歩くもんだ。なのに、こいつときちゃあ、腰が浮いていやがった。それが種明かしさ」
「ちっ、邪魔をしやがるつもりか。おぅ手前ぇたち、押っ取り刀の支度をしろぃ」
文蔵が目配せをした。大八車にかけられていた菰が外された。
千両箱が乗せられている。小箪笥や札銭箱、それに茶碗や花器も見える。
その金品の脇に刀が積まれていた。文蔵の手下たちは、手に手に、刀の鞘を握った。腰に挿す暇もない。ぎらりと手下たちは刀を鞘から抜き、鞘を地に放った。
円朝は菰から現れた茶碗や花器を見て、くっと文蔵をにらんだ。
「手前ぇ、井汲庵を襲いやがったな。治兵衛の旦那をどうした。番頭さんをどうしたっ」
「へんっ、あのじじぃめ、泣いて命乞いをしやがったぜ。口に猿ぐつわをはめて、両の手を後ろ手に縄で縛って、内蔵に転がしてきたぜ。いまごろは湯島の火の海のなかで焼き仏にでもなっているだろうぜ。ふははは」
「さては井汲庵に火をつけ、金品を奪ってきやがったな。あの火事は手前ぇが広げたものか。火事騒ぎに乗じて、井汲庵のおたからを運びだそうってぇ魂胆だったか」
「ふふ円朝師匠の家もあのあたりにあるってな。とんだご災難だったな。ふははは」
笑っていた文蔵が険しい顔に変じて、手下どもに命じた。
「殺っちまぇ。このうるせぇ噺家野郎を叩っ斬っちまえ。かかれっ」
いきなり一人の手下の兇刃が円朝の頭上から振るわれた。
ガシッ。
円朝は左手にした木製の十手で、刃を受け止めた。そのまま前に踏み出すと、十手に押されて刀はせり上がった。円朝は手下のみぞおちを右拳で打ち込んだ。
「ぐへっ」
手下は腰を折ると、胸を押さえてうずくまってしまった。木製の十手には、刃が木を斬り込み、刺さっていた。円朝は素早く、その刀を手にした。刀から木製の十手をさっと外した。そして奪った刀を正眼に構えた。
「野郎っ」
浅い鼠色(ねず)の着物にたすき掛けを結んだ男が斬りかかってきた。円朝は合わせた刀で払った。濃紺の着物を着た男が、円朝の肩を狙って斬りつけた。
すぃーん。
払った刀を振り戻して、濃紺男の刀を下段からすり上げた刀で受け流した。そこを三人目の蝙蝠柄の着物を着た男が円朝の胴を狙って斬りつけた。飛び下がって間合いを開く余裕はない。剣も頭上にあがっていて、兇刃を受けるには間に合わない。円朝はだっと地を蹴って、蝙蝠男の懐に飛び込んだ。
横なぎに斬りつけてくる蝙蝠男のひじに円朝は体当たりをくらわせたのである。
ぐきっ。
蝙蝠男のひじが折れるにぶい音がした。